官位相当の制
中央・地方の官庁には、
長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)という四等官が置かれました。
官人は
官位相当の制により出身に応じた位階と官職を授けられ、位階は30階に分かれており、勤務評定によって昇進していく決まりになっていました。
このように、律令国家において支配的地位を得たのは、
皇族・皇親・官人でした。五位以上の官人は貴族として多くの特権を与えられました。貴族は位階に対して位田・位封・季禄・資人が、官職に対して、職田・職封・資人などが与えられ、調・庸・雑徭などの税免除、刑罰の減刑などの特権を持っていました。
この他にも、三位以上の貴族の子・孫、五位以上の貴族の子には出身時に一定の位階が授けられるという
蔭位の制がありました。
この制度により、貴族階級は同じ家柄が独占できるようになり、藤原鎌足以降藤原氏は多くの上級官人を輩出するようになりました。
司法制度では、刑罰として笞・杖・徒・流・死(ち・じょう・ず・る・し)の五刑が定められました。国家や皇族に対する罪は特に重く、謀変・謀大逆・謀反・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の八逆は、有位者の特権でも罪を減免されることはありませんでした。
班田収授法の制定
こうした律令体制を国の隅々まで広げるため、政府は戸籍と計帳に全人民を登録するようにしました。
戸籍は6年ごとに作られ、良民・賤民身分の管理、氏姓の確定、徴兵、班田収授などの基本台帳となりました。
計帳は、調・庸を徴収するための基本台帳で、毎年作り変えられました。
人民はいずれかの
戸に入れられ、50戸は1
里として最小の行政単位となりました。50戸1里制の戸は郷戸といい、父系血縁の複合大家族と寄口という没落した良民が含まれました。
戸籍に登録されたすべての公民には、
口分田が班給されました。この口分田は、6年に一回戸籍が再編されるときに、受給資格を得たものが班給し、死亡者の口分田を収公するというものでした。これを
班田収授法といいます。
その他の田は輸租田(租を納める義務あり)として位田・功田・賜田、不輸租田(租を納める義務なし)として、寺田・神田・職田などがありました。
戸口に対しては宅地や園地が与えられ、これは売買自由な土地でした。山川や原野、沼沢は共有地とされました。
田地は班田に便利なように条里制によって区画され、水田地帯360歩(648m)平方に区画し、南北の一辺を条、東西の一辺を里とし、この360歩四方の土地も同じく里と定め、これを36等分した60歩四方の土地を坪と名づけました。坪はさらに10等分され、班田の基準となりました。