源氏物語『葵』
ここでは、源氏物語の『葵』の章から、「大殿には御物の怪いたう起こりて」から始まる部分の現代語訳(口語訳)とその解説をしています。書籍によっては『葵の上』、『物の怪の出現』、『御息所のもの思い』とするものもあるようです。
原文
大殿には、御物の怪いたう起こりていみじうわづらひ給ふ。
「この御生霊、故父大臣の御霊など言ふものあり。」
と聞き給ふにつけて、思しつづくれば、
「身一つの
憂き嘆きよりほかに人を悪しかれなど思ふ心もなけれど、もの思ひに
あくがるなる魂は、さもやあらむ。」
と思し知らるることもあり。
年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、かうしも
砕けぬを、
はかなきことの折に、人の
思ひ消ち、なきものにもてなすさまなりし
御禊の後、ひとふしに思し浮かれにし心鎮まりがたう思さるるけにや、少しうち
まどろみ給ふ夢には、かの姫君と思しき人のいと
清らにてある所に行きて、とかく引きまさぐり、現にも似ず、猛く巌き
ひたぶる心出で来て、うち
かなぐるなど見え給ふこと度重なりにけり。
「あな心憂や、げに身を捨ててや往にけむ。」
と、
うつし心ならず思え給ふ折々もあれば、
「さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこれはいとよう言ひなしつべきたよりなり。」
と思すに、いと
名立たしう、
「ひたすら世に亡くなりて後に怨み残すは
世の常のことなり。それだに人の上にては、罪深うゆゆしきを、現の我が身ながらさる疎ましきことを
言ひつけらるる、宿世の憂きこと。すべて
つれなき人にいかで心もかけきこえじ。」
と思し返せど、思ふもものをなり。
現代語訳(口語訳)
大殿の館では、物の怪がひどくおこって(葵の上が)たいそうお苦しみになっています。
(六条御息所は)
「(その物の怪が)ご自分の生き霊(だとか)、亡くなられた父左大臣の死霊であると言う者がいる。」
とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
「我が身一人の不運を嘆くほかには、他の人のことを悪くなれと思う気持ちはないのですが、悩み事があると体から抜け出てさまようという魂は、このようなことなのでしょうか。」
と(なるほどと)思いあたられることもあります。長年、すべてにつけて思いを残すことなく過ごしてきましたが、このように思い乱れることはなかったのに、取るに足らない事の折に、あの人(葵の上)が(私のことを)無視し、ないもののようにふるまう態度をとる様子であった御禊の日の後は、あの一件で心が浮き立ち鎮まりそうもないとお思いになるせいでしょうか、少しうとうととなさる(ときにみる)夢では、(体から魂が抜け出て)あの姫君(葵の上)と思わしき人がとても気品があって美しくいらっしゃるところに行って、あれこれと引っ掻き回し、(生霊の姿ではない)本当の姿とは異なり、荒々しく激しい一途な心が出てきて、乱暴に打ったりするのを御覧になることが度重なってしまったのです。
「あぁ心苦しいことよ、なるほど(魂が)身を捨てて出て行ったのでしょう。」
と、正気な心ではないとお思いになることもあるので、
「それほどのことでなくても、他人のことであれば、良いことは決して言い出すことのない世間なのですから、ましてこれはたいそう悪評を立てることができる機会ですね。」
とお思いになると、とても評判になりそうで、
「一途にこの世に亡くなった後に恨みを残すことは普通のことです。そのようなこと(死んだ後に、恨みが現世に残っていると嫌がられること)でさえ他人の身の上について(そのような話をされること)は、罪深く縁起が悪いことなのに、現実の自分の身にそのような嫌なことを言いふらされるのは、宿世の因縁のつらいことです。もう一切薄情な人に決して心を掛け申し上げますまい。」
と(思うのですがそのように)思い返すのことも、物を思うことなのです。
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