十八史略『背水之陣』原文・書き下し文・現代語訳と解説
このテキストでは、
十八史略の一節『
背水之陣(
漢三年、韓信・張耳、以兵撃趙〜)』の、原文(白文)、書き下し文、現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。
※
史記のものとは異なるので注意してください。
十八史略とは
『
十八史略』(じゅうはっしりゃく)は、中国の歴史書で、初学者向けの歴史読本です。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の歴史書が要約されています。
白文(原文)
漢三年、韓信・張耳、以兵撃趙。
趙王歇、及成安君陳余禦之。
夜半、信伝発軽騎二千人、人赤持
幟、従
間道望趙軍、戒曰
「趙見我走、必空壁逐我。若、疾入趙壁、抜趙幟、立漢赤幟。」
乃使万人先背水陣。
平坦、建大将旗鼓、鼓行出井陘口。
趙開壁撃之。
戦
良久。
信・耳佯棄鼓旗、走水上軍。
趙果空壁逐之。
水上軍皆殊死戦。
趙軍已失信等、帰壁、見赤幟大驚、遂乱遁走。
漢軍夾撃、大破之、斬陳余、
禽趙歇。
諸将
賀因問曰、
「兵法『右-倍山陵、前-左水沢。』
今背水而勝何也。」
信曰、
「兵法不曰『陥之死地而後生、置之亡地而後存。』乎。」
諸将皆服。
書き下し文
漢の三年、韓信・張耳、兵を以ゐて趙を撃つ。
趙王歇、及び成安君陳余之を禦(ふせ)ぐ。
夜半、信伝して軽騎二千人を発し、人ごとに赤幟を持ち、間道より趙軍望ましめ、戒めて曰はく、
「趙我の走(に)ぐるを見れば、必ず壁を空しくして我を逐はん。
若(なんじ)、疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ。」と。
乃ち万人をして先づ水を背に陣せしむ。
平坦、大将の旗鼓を建て、鼓行して井陘口(せいけいこう)より出づ。
趙壁を開き之を撃つ。
戦ふこと良久(ややひさ)し。
信・耳佯(いつわ)りて鼓旗を棄て、水の上(ほとり)の軍に走る。
趙果たして壁を空しくして之を逐ふ。
水の上の軍皆殊死して戦ふ。
趙の軍已に信等を失ひて、壁に帰り、赤幟を見て大いに驚き、遂に乱れて遁走(とんそう)す。
漢の軍夾撃(きょうげき)して、大いに之を破り、陳余を斬り、趙歇を禽(とりこ)にす。
諸将賀し因りて問ひて曰はく、
「兵法に『山陵を右にし倍(そむ)き、水沢を前にし左にす。』と。
今水を背にして勝ちしは何ぞや。」と。
信曰はく、
「兵法に『之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に置きて而る後に存す。』と曰わざらんや。」と。
諸将皆服す。
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