ソ連の社会主義建設とアメリカの繁栄で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
東欧・バルカン諸国の状況
・ハンガリーは、1918年に共和国として再出発した。しかし1919年敗戦後の混乱のさなかに
ハンガリー革命が起き、ロシア革命にならって
ソヴィエト政権が樹立されたが、
ルーマニア軍や政治家
ホルティにより打倒された。
・チェコスロヴァキアでは、初代大統領の
マサリクや
ベネシュなどの政治家が活躍し、西欧のように議会主義を根付かせ、工業国として経済発展も進んだ。
・ポーランドでは、独立運動を指導した
ピウスツキが1918年に独立を宣言し、国家元首となり
ポーランド=ソヴィエト戦争をはじめた。
イタリアの状況
・イタリアでは、第一次世界大戦後に北イタリアで大規模なストライキがおこり、社会不安が広がった。当時、政界には
イタリア社会党やそこから分離した
社会党左派があったが、
1919年に政治家
ムッソリーニが
ファシスト党を結成し、1922年
ローマ進軍というデモクーデターを強行した。
・ムッソリーニは、1926年の議会でファシスト党以外の全党を解散させ、ファシズム大評議会を国家最高議決機関とし
一党独裁制を確立した。このような議会制民主主義を否定する独裁政治を
ファシズムといい、ドイツの
ナチス党などとともに第二次世界大戦につながる政治体制となっていった。
・対外的には、ユーゴと争っていた
フィウメを併合し、1926年に
ティラナ条約で
アルバニアを保護国化した。また、1870年にローマ教皇領をイタリア政府が併合して以来断絶状態だったローマ教皇庁と
ラテラン(ラテラノ)条約を1929年に結び、
ヴァチカン市国を独立国家として認めた。
ソ連の状況
・
1924年1月に、ロシア革命の指導者
レーニンが死去すると、後継者争いが激化した。
世界革命論を唱えた
トロツキーはレーニンの後継者と見られていたが、
一国社会主義論を主張した
スターリンにより失脚させられ、のちに暗殺された。
・スターリンは、その後ソ連共産党の指導者
ブハーリンなど、対立する政治家を次々と失脚させ、
1930年代に事実上の独裁政治をはじめた。
・1928年から1932年にかけて、ロシアでは
第1次五カ年計画が開始された。第1次五カ年計画では、重工業優先政策と農業の機械化・集団化がめざされ集団農場の
コルホーズ、国営農場の
ソフホーズが拡大した。ソ連は工業化が進んだものの農業が衰退し、全国的に多数の餓死者が発生した。こうした結果を受け、
第2次五カ年計画が始められたが、国際情勢の緊迫化から最終的に重工業や軍需工業に重点が置かれた。1938年から1942年にかけて
第3次五カ年計画が始められたが、1941年の独ソ戦開始により中断した。
・1930年代はじめから、スターリンが死去する
1953年までを
スターリン体制といい、反対派の
粛清が続けられた。
1933年にアメリカがソ連を承認し、
1934年には国際連盟に加入した。1936年には
スターリン憲法が制定されたが、市民権利が保障されず、民主的な憲法ではなかった。また、スターリン体制下では、少数民族のチェチェン人・タタール人・朝鮮人などの
少数民族強制移住が行われ、多数の犠牲者を出した。
アメリカの状況
・第一次世界大戦時、アメリカは連合国に対し様々な兵器を供給し、戦前の
債務国から
債権国と変貌を遂げた。世界経済の中心はイギリスの
ロンバート街(ロンドン)からアメリカの
ウォール街(ニューヨーク)へ移った。
・モンロー主義の延長として、アメリカは
孤立主義を貫いた。第一次世界大戦後特に盛んになり、ウィルソンの外交政策やアメリカの国際連盟加盟を阻止した。
・1919年には
禁酒法が制定され、1920年には
女性参政権が成立した。アメリカ社会は、ホワイト(W)・アングロ=サクソン(AS)・プロテスタント(P)の
ワスプ(WASP)という北部の白人中産階級が中心となり、
K・K・K(クー=クラックス=クラン)という白人至上主義団体も1920年代に復活した。同じ時期には、2人のアナーキストが証拠不十分のまま殺人罪で有罪判決となった
サッコ・ヴァンゼッティ事件も起き、アメリカ社会は保守主義・独善主義となっていった。
・共和党の第29代大統領
ハーディングは、政権下で汚職事件がおこった。在職中死去したハーディングのあと、30代大統領として
クーリッジが就任し、在職中アメリカは好景気にささえられ、自由放任主義をすすめた。
・1875年以来、
移民法が多数可決された。1924年のものは
排日移民法といわれ、移民数を15万人程度に抑え、日本人移民を全面的に禁止する内容であった。
・共和党の第31代大統領
フーヴァーは、資本主義の
永遠の繁栄を述べ、経済成長がつづたが、その後ウォール街で株の大暴落がきっかけとなり、
世界恐慌が始まった。
・民間部門の生産性向上もおこり、アメリカは
大量生産・大量消費の社会となっていった。大量生産方式とローン決済広がりにより、アメリカ的生活様式が成立し、経済・文化が豊かになっていった。特に、大衆車を生み出した
フォードは、大量生産・大量消費時代の象徴であった。また、資本家と労働者の中間に位置する
新中間層も生まれた。