ヴェルサイユ体制とワシントン体制で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ヴェルサイユ体制
・1919年1月18日、第一次世界大戦の講和条件を討議する
パリ講和会議が開かれ、この会議でドイツ敗戦処理をまとめた
ヴェルサイユ条約が結ばれた。ヴェルサイユ条約により、ドイツは
ポーランド・ベルギー・チェコスロヴァキア・リトアニアに領土の一部を割譲し、
ザールの帰属を人民投票で決め、
ダンツィヒは国連の管理下に置かれた。ドイツは海外植民地を喪失し、オーストリアとの合併を禁止された。また、
アルザス・ロレーヌをフランスに割譲、軍備制限により軍が弱体化し、
ラインラント非武装地帯の設定、
ポーランド回廊の割譲、
1320億金マルクに及ぶ賠償金の支払いが決定した。
・
サン=ジェルマン条約により、オーストリア=ハンガリー帝国の領土は
ポーランド・チェコ・セルブ=クロアート=スロヴェーン(ユーゴスラヴィア)・ハンガリーなどの諸民族に分割された。また、ブルガリアは
ヌイイ条約により、
ギリシア・ユーゴスラヴィアに領土を割譲し、大戦中に奪った土地を
ルーマニアに返還した。ハンガリーは
トリアノン条約によりオーストリアから完全分離し、
ルーマニア・ユーゴスラヴィア・チェコへの領土割譲が決まった。オスマン帝国は
セーヴル条約により、欧州の領土がイスタンブル周辺のみとされ、
メソポタミア・パレスチナをイギリス、
シリアをフランスの委任統治領とし、
キプロスをイギリスに割譲した。
・1818年11月3日、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、
ハンガリー王国、チェコスロヴァキア、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国が独立した。
・
フィンランド(1917年独立)・エストニア(1917年独立)・ラトヴィア(1918年独立)・リトアニア(1918年独立)はロシアから独立した。また、
ポーランドも独立を宣言し1919年のパリ講和会議で正式に承認された。
・アラビアも独立し、1924年にイギリスは
イブン=サウードを支援し王国を建国させ、その後1932年に
サウジアラビア王国となった。
・第一次世界大戦の敗戦国の領土を処分する方式として
委任統治がとられたが、これは事実上の領土再分割であった。
イラク・パレスチナ・トランスヨルダンはイギリスの、
シリア・レバノンはフランスの委任統治領とされた。
国際連盟の成立
・第一次世界大戦後、各国は
国際協調主義をとり、資本主義的国際秩序の維持に努めた。そのためソ連など社会主義国や小国の主張は無視された。
・1920年1月、ウィルソンの
十四か条の平和原則に基づき、史上初の集団的国際安全保障機構である
国際連盟が発足した。国際連盟はジュネーヴに本部が置かれ、最高議決機関の総会、最高機関の一つである理事会(常任理事国はイギリス・フランス・イタリア・日本)、その他に
連盟事務局・国際労働機関(ILO)・常任国際司法裁判所などが設置された。しかし、アメリカの不参加、ソ連・ドイツの排除、各国1票の全会一致原則、制裁規定の不明確などの課題もあった。
ワシントン体制
・1921年から1922年にかけて、アメリカ大統領ハーディングの提唱により
ワシントン会議が開かれた。この会議で各国は、
ワシントン海軍軍備制限条約・九カ国条約・四カ国条約を締結した。
・ワシントン海軍軍備制限条約の締結により、
主力艦保有比率をイギリス(5)・アメリカ(5)・日本(3)・フランス(1.67)・イタリア(1.67)に定めた。また、四国条約でアメリカ・イギリス・フランス・日本が太平洋域の領土・権益保全と、島嶼部の非軍事基地化を約束し、九カ国条約で
アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・中国・オランダ・ベルギーが中国の領土保全・機会均等・門戸開放・主権独立の尊重が決められ、
石井・ランシング協定は失効し、日本の中国進出は二十一カ条要求以前の状態に戻った。
・これらの国際秩序は
ワシントン体制と呼ばれ、ヨーロッパ方面のヴェルサイユ体制とともに1920年代の国際秩序を支えた。
軍縮の進展
・1925年、
ロカルノ条約が結ばれ、
イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコの7カ国が西ヨーロッパの安全保障を取り決めた。1927年にはジュネーヴ軍縮会議が開かれたが、フランス・イタリアの不参加により解散した。
・1928年には、
ケロッグ・ブリアン協定(不戦条約)が15カ国の間で結ばれた。1930年には、
ロンドン軍縮会議が開かれ、補助艦保有比率をイギリス(10)・アメリカ(10)・日本(7弱)と規定した。この決定に日本の軍部は反発し、のちの軍国主義化につながった。