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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / アメリカ合衆国の発展

アメリカ合衆国の発展(米英戦争、南北戦争、奴隷解放宣言など) 受験対策問題 77

著者名: レキシントン
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アメリカ合衆国の発展で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

アメリカ合衆国の発展

・独立戦争を経て成立したアメリカ合衆国では、しだいに連邦派反連邦派にわかれ対立がおこった。財務長官ハミルトンに代表される連邦派は、連邦政府に大きな権限を与えることを望み、トマス=ジェファソンに代表される反連邦派は、各州の自治を最大化しようと望んだ。これらの対立は、最終的にジェファソンが大統領に就任し、反連邦派の勝利に終わったが、平和的に政権交代が行われた稀有な例となった。ジェファソン大統領の時代に、アメリカはフランスからルイジアナを買収した。

・ヨーロッパでナポレオン戦争が激化すると、イギリスは海上封鎖を行い、フランスに対抗した。しかし、この海洋封鎖はアメリカの通商も妨害したため、アメリカ=イギリス(米英)戦争(1812~1814)が勃発した。この戦争によりイギリスの製品がアメリカ市場からなくなり、代わりに自国の工業発展が促進され、アメリカの経済的自立が進んだ。米英戦争は第2次独立戦争とも言われ、ナポレオン戦争の終結とともに講和が成立した。

・ナポレオン戦争後に成立したウィーン体制に対して、アメリカはヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を目的としたモンロー宣言を発布した。

・初の西部出身者である第7代ジャクソン大統領の時代になると、ジャクソニアン=デモクラシーという民主主義が発達した。

・アメリカ合衆国は領土拡大を目指し、1819年スペインからフロリダを買収、1845年メキシコからテキサスを併合、1848年メキシコからカリフォルニアを獲得、1846年カナダとの紛争を機にオレゴンを併合した。

・こうした西部開拓マニフェスト=ディスティニーという言葉で正当化され、先住民インディアンと対立しながら行われた。1830年には、インディアン強制移住法が制定され、ミシシッピ川以西保留地に追いやられた。

南北戦争

・アメリカ合衆国の発展とともに、南部と北部が経済構造の違いにより対立するようになった。南部は、黒人奴隷を利用したプランテーションで栄え、タバコ・米・藍・綿花などを栽培していた。特に、産業革命の進展により、世界的に綿花の需要が増えると、南部経済は大いに発展することとなった。また、南部は農業生産物の輸出と同時に、イギリスから工業製品を購入するという相互依存関係が成立していたため、外国製品の関税を撤廃する自由貿易制度を主張していた。一方北部は、産業革命後に工業生産で発展し、イギリスの工業と競合関係にあったため、アメリカの工業製品の優位性を確保するため保護主義を主張した。

・こうした南部と北部の対立は、西部開拓とともに新規に獲得された州を奪い合う形で進んだ。1820ミズーリ協定が制定され、北緯36度30分を境に、奴隷制度を認めない北部の自由州と奴隷制を継続する奴隷州にすることが決められた。

・その後1851~1852年に、ストウ夫人が『アンクル=トムの小屋』を発表し、奴隷制度の害悪を世間に訴えると、世論は奴隷解放へと傾いていった。また1854年にカンザス=ネブラスカ法が成立していたため、ミズーリ協定は否決され、住民の判断によって自由州と奴隷州が決められることになり、南北の対立が激化した。

・こうした黒人奴隷制度の是非をめぐって、1860年に選挙が行われた。選挙の結果、共和党リンカンが大統領に当選した。この結果を不服とした南部は、ジェファソン=デヴィスを大統領とするアメリカ連合国を組織し、連邦から脱退した。

・こうした対立のなか、1861年に南部が北部のサムター要塞を攻撃し、南北戦争(1861~1865)がはじまった。初め、南部のリー将軍が優勢だったが、のちグラント将軍により北部が巻き返した。リンカンは1862年に公有地に5年間定住した者に160エーカーの土地を与えるホームステッド法を制定し、その後1863年1月1日奴隷解放宣言を発表し、北部の正当性を訴えた。

1863年に、ゲティスバーグの戦いがおこり、その後1865年4月にリンカンが暗殺されるが、同年南部の首都リッチモンドが陥落し南北戦争が終結し、その後憲法修正第13条が可決され、奴隷制度は全面的に廃止された。

・奴隷制度廃止後、シェアクロッパー制度が始まったが、小作人には解放後も土地が与えられなかった。また、南部の白人層はK・K・K(クー=クラックス=クラン)という秘密結社を組織し、黒人を迫害していった。また、ジム=クロウという黒人専用の空間が公共施設などで設けられ、人種差別は根強く残った。

工業国アメリカ

・南北戦争後、アメリカは工業国として発展していった。1867年には財政難のロシアからアラスカを買収し、1869年には大陸横断鉄道が開通した。また、移民も増加し、さまざまな労働の担い手となった。1886年にはアメリカ労働総同盟(AFL)が結成され、その後全米女性参政権協会も結成された。

・隣国のメキシコでは内乱が起き、フアレスを指導者とする勢力が独裁政権を倒した。これに対し、フランスのナポレオン3世が介入し、オーストリアのマクシミリアンをメキシコ皇帝にすえた。メキシコの人民はフアレスを支持し、アメリカもモンロー宣言に基づきフランスに抗議したため、フランス軍は撤退し、マクシミリアンは銃殺刑となった。
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・アメリカ合衆国の発展(米英戦争、南北戦争、奴隷解放宣言など) 受験対策問題 77

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『世界史B 用語集』 山川出版社
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