アメリカの奴隷制
西部開拓とともに、アメリカ合衆国は領土を次々と拡大していきますが、徐々に経済的理由から
奴隷制が定着していきます。
アメリカの奴隷制のはじまりは、18世紀末にさかのぼります。
なぜこの時期に奴隷制が定着したのか、当時の世界の状況を考えてみましょう。
まず、18世紀といえば、イギリスで
産業革命が進展し、機械を駆使した
綿織物工業が発達した時期です。
このイギリスの綿織物は、中国やインドなど世界市場で飛ぶように売れたため、その原料である
綿花の需要が高まります。
アメリカ南部は、この綿花生産の一大地域で、
プランテーションという大農場でアフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷とその子孫達が、労働力として酷使されていました。その数なんと400万人。南部の全人口の3分の1以上を占めていました。
南部と北部の対立
このような奴隷制のもと綿花栽培を主な産業にしていた
南部は、イギリスとの貿易で大きな利益をあげていました。また、綿花を輸出する代わりに、イギリスの優れた工業製品を輸入していたので、南部は関税を撤廃する
自由貿易制度を主張するようになり、連邦政府よりも各州の自治権を拡大する政策を望みました。
一方
北部は、アメリカ独自の産業革命の進展とともに、工業を主な産業にしていたので、イギリスとは工業製品で競合関係にありました。そのため、イギリスの工業製品に高い関税をかけ締め出すことで、自国の工業製品を有利に販売する
保護主義を主張し、連邦制の権利拡大を望みました。
このように、南北は主要産業と経済構造の違いから、次第に対立するようになります。
南部は、ヴァージニア以南の地域、北部はオハイオ以北の地域を指します。