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土佐日記 原文全集「暁月夜」

著者名: 古典愛好家
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暁月夜

一月十三日

十三日の暁に、いささかに雨降る。しばしありて止みぬ。女これかれ、

「沐浴(ゆあみ)などせむ」


とて、あたりのよろしき所におりてゆく。海を見やれば、

  雲もみな波とぞみゆる海人もがな いづれか海と問ひて知るべく

となむ歌詠める。さて、十日あまりなれば、月おもしろし。船に乗りはじめし日より、船には紅濃くよき衣着ず。それは、「海の神に怖ぢて」と言ひて、何の葦蔭(あしかげ)にことづけて、老海鼠(ほや)のつまの胎鮨、鮨鮑をぞ、心にもあらぬ脛にあげて見せける。


一月十四日

十四日。暁より雨降れば、同じ所に泊まれり。

船君、節忌す。精進物なければ、午時よりのちに、楫取の昨日釣りたりし鯛に、銭なければ、米をとりかけて、落ちられぬ。かかること、なほありぬ。楫取また鯛持て来たり。米、酒しばしばくる。楫取、気色悪しからず。


一月十五日

十五日。今日、小豆粥煮ず。口惜しく、なほ日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、今日、廿日あまりへぬる。いたづらに日を経れば、人々海を眺めつつぞある。女の童の言へる、

  立てば立つ居ればまた居る吹く風と 波とは思ふどちにやあるらむ

いふかひなきものの言へるには、いと似つかはし。


一月十六日

十六日。風波やまねば、なほ同じ所に泊まれり。

ただ、海に波なくして、いつしか御崎といふ所渡らむとのみなむ思ふ。風波、とにに止むべくもあらず。ある人の、この波たつを見て詠める歌、

  霜だにもおかぬ方ぞといふなれど 波の中には雪ぞ降りける

さて、船に乗りし日より今日までに、廿日あまり五日になりにけり。


一月十七日

十七日、くもれる雲なくなりて、暁月夜いとおもしろければ、船を出して漕ぎゆく。

この間に、雲の上も海の底も、同じごとくになむありける。むべも昔の男は、

「棹は穿つ波の上の月を、船はおそふ海のうちの空を」


とは言ひけむ。聞きざれに聞けるなり。また、ある人の詠める歌、

  水底の月の上より漕ぐ船の棹にさはるは桂なるらし

これを聞きて、ある人のまた詠める、

  影見れば波の底なるひさかたの 空漕ぎわたるわれぞわびしき

かくいふ間に、夜やうやく明けゆくに、楫取ら、

「黒き雲、にはかにいで来ぬ。風吹きぬべし。御船かへしてむ」


といひて、船かへる。この間に雨降りぬ。いとわびし。


一月十八日

十八日。なほ同じ所にあり。海荒ければ、船出さず。

この泊、遠く見れども近く見れども、いとおもしろし。かかれども苦しければ、何ごとも思ほえず。男どちは、心やりにやあらむ、漢詩などいふべし。船も出さで、いたづらなれば、ある人の詠める、

  磯ぶりのよする磯には年月を いつともわかぬ雪のみぞ降る

この歌は、つねにせぬ人の言なり。また、人の詠める、

  風による波の磯には鴬も春もえ知らぬ花のみぞ咲く

この歌どもを、少しよろしと聞きて、船の長しける翁、月日ごろの苦しき心やりに詠める、

  立つ波を雪か花かと吹く風ぞ よせつつ人をはかるべらなる

この歌どもを、人のなにかといふを、ある人、聞きふけりて詠めり。その歌、詠める文字、三十文字あまり七文字。人みな、えあらで笑ふやうなり。歌主、いと気色悪しくて怨(ゑ)ず。真似べども、え真似ばず。書けりとも、えよみすゑがたかるべし。今日だにかく言ひがたし。まして、のちにいかならむ。


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・土佐日記 原文全集「暁月夜」

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森山京 2001年 「21世紀によむ日本の古典4 土佐日記・更級日記」ポプラ社
長谷川 政春,伊藤 博,今西 裕一郎,吉岡 曠 1989年「新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記」岩波書店

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