僧都の御乳母のままなど
僧都の御乳母のままなど、御匣(みくしげ)殿の御局にゐたれば、男のある、板敷のもと近うよりきて、
「からい目を見さぶらひて、誰にかはうれへ申し侍らむ」
とて、泣きぬばかりのけしきにて、
「なにごとぞ」
と問へば、
「あからさまにものにまかりたりしほどに、侍る所の焼け侍りにければ、がうなのやうに、人の家に尻をさし入れてのみさぶらふ。馬寮(うまづかさ)の御秣(みまぐさ)つみて侍りける家よりいでまうできて侍るなり。ただ垣をへだてて侍れば、夜殿にねて侍りけるわらはべも、ほとほとやけぬべくてなむ、いささかものもとうで侍らず」
などいひをるを、御匣殿も聞き給ひて、いみじう笑ひ給ふ。
みまくさをもやすばかりの春の日に夜殿さへなど残らざるらむ
とかきて、
「これをとらせ給へ」
とて投げやりたれば、笑ひののしりて、
「このおはする人の、家やけたなりとて、いとほしがりてたまふなり」
とて、とらせたれば、ひろげてうちみて、
「これはなにの御短冊にか侍らむ。ものいくらばかりにか」
といへば、
「ただよめかし」
といふ。
「いかでか。片目もあきつかうまつらでは」
といへば、
「人にも見せよ。ただいまめせば、とみにて上へまゐるぞ。さばかりめでたき物をえてはなにをか思ふ」
とて、みな笑ひまどひのぼりぬれば、
「人にや見せつらむ、里にいきていかに腹だたむ」
など、御前にまゐりてままの啓すれば、また笑ひさわぐ。御前にも、
「などかくものぐるほしからむ」
と笑はせ給ふ。