社は
社は、布留の社。生田の社。旅の御社。花ふちの社。杉の御社は、しるしやあらむとをかし。ことのままの明神、いとたのもし。「さのみ聞きけむ」とやいはれ給はむ、と思ふぞいとほしき。
蟻通の明神、貫之が馬のわづらひけるに、この明神の病ませ給ふとて、歌よみたてまつりけむ、いとをかし。
蟻通の明神
この蟻通とつけけるは、まことにやありけむ、昔おはしましける帝の、ただ若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをば、失はせ給ひければ、人の国の遠きにゆき隠れなどして、さらに都のうちにさるもののなかりけるに、中将なりける人の、いみじう時の人にて、心などもかしこかりけるが、七十ちかき親二人を持たるに、かう四十をだに制することに、まいておそろしとおぢさわぐに、いみじく孝なる人にて、遠き所に住ませじ、一日に一たびみではえあるまじとて、みそかに、家のうちの土をほりて、その内に屋をたてて、籠(こ)めすゑて、いきつつ見る。人にもおほやけにも、失せかくれたるよしを知らせてあり。などか、家に入りゐたらむ人をば、知らでもおはせかし。うたてありける世にこそ。
この親は、上達部などにはあらぬにやありけむ、中将などを子にて持たりけるは。心いとかしこう、よろづのこと知りたりければ、この中将もわかけれど、いと聞こえあり、いたりかしこくして、時の人におぼすなりけり。
唐土の帝、この国の帝をいかではかりて、この国うちとらむとて、常にこころみごとをし、あらがひごとをしておそり給ひけるに、つやつやとまろにうつくしげに削りたる木の、二尺ばかりあるを、
「これが本末、いづかた」
と問ひにたてまつれたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしわづらひたるに、いとほしくて、親のもとにいきて、かうかうの事なむある、といへば、
「ただ疾(はや)からむ河に、立ちながら、横さまになげいれて、返りて流れむかたを末としるしてつかはせ」
と教ふ。まゐりて我が知り顔にて、
「さて、こころみ侍らむ」
とて、人と具してなげいれたるに、先にしていくかたにしるしをつけて、つかはしたれば、まことにさなりけり。
また、二尺ばかりなる蛇(くちなは)の、ただおなじ長さなるを、
「これは、いづれか男女」
とてたてまつれり。また、さらに人え見知らず。例の、中将きて問へば、
「ふたつを並べて尾のかたに、細きすはえをしてさしよせむに、尾はたらかざらむを女としれ」
といひける。やがて、それは内裏のうちにて、さしけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、また、さるしるしつけて、つかはしけり。
ほどひさしくして、七曲にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるがちひさきをたてまつりて、
「これに緒とをして給はらむ。この国にみなし侍る事なり」
とてたてまつりたるに、
「いみじからむものの上手、不用なり」
と、そこらの上達部、殿上人、世にありとある人いふに、またいきてかくなむといへば、
「大なる蟻をとらへて、二つばかりが腰にほそき糸をつけて、またそれにいますこし太きをつけて、あなたの口に蜜をぬりて見よ」
といひければ、さ申して、蟻をいれたるに、蜜の香をかぎて、まことにいととくあなたの口より出でにけり。さて、その糸のつらぬかれたるを、つかはして後になむ、なほ日の本の国はかしこかりけりとて、後にさる事もせざりける。
この中将をいみじき人におぼしめして、
「なにわざをし、いかなる官位をか給ふべき」
と仰せられければ、
「さらに官もかうぶりも給はらじ。ただ老いたる父母のかくれうせて侍る、たづねて都に住ますることを許させ給へ」
と申しければ、いみじうやすき事、とて許されければ、よろづの人の親、これを聞きてよろこぶこといみじかりけり。中将は上達部、大臣になさせ給ひてなむありける。
さて、その人の神になりたるにやあらむ、その神の御もとにまうでたりける人に、夜あらはれてのたまへりける。
七曲にまがれる玉の緒をぬきてありとほしとは知らずやあるらむ
とのたまへりける、と人の語りし。