平家物語
俊寛沙汰・鵜川軍
鵜川といふは、白山の末寺なり。この事訴へんとてすすむ老僧誰々ぞ。智釈・学明・宝台房・正智・学音・土佐阿闍梨ぞすすみける。白山三社八院の大衆ことごとく起りあひ、都合その勢二千余人、同じき七月九日の暮方(くれがた)に、目代師経(もろつね)が館近うこそ押し寄せたれ。今日は日暮れぬ、明日のいくさと定めて、その日は寄せてゆらへたり。露吹き結ぶ秋風は、射向の袖を翻(ひるがへ)し、雲ゐを照らす稲妻は、甲(かぶと)の星をかがやかす。目代叶かなはじとや思ひけん、夜逃げにして京へ上る。あくる卯の刻に押し寄せて、時をどっとつくる。城の内には音もせず。人を入れて見せければ、
「皆落ちて候ふ」
と申す。大衆力及ばで引き退く。さらば山門へ訴へんとて、白山中宮の神輿を飾り奉り、比叡山へ振りあげ奉る。同じき八月十二日の午の刻ばかり、白山の神輿、既に比叡山東坂本につかせ給ふといふ程こそありけれ、北国の方より、雷(らい)夥(おびただ)しく鳴って、都をさしてなりのぼる。白雪くだりて地をうづみ、山上・洛中おしなべて、常盤の山の梢まで、皆白妙になりけり。