懸想人にて来たるは
懸想(けさう)人にて来(き)たるはいふべきにもあらず、ただうちかたらふも、また、さしもあらねどおのづから来(き)などもする人の、簾(す)の内に人々あまたありてものなどいふに、ゐ入りてとみにかへりげもなきを、供(とも)なるをのこ、童(わらは)など、とかくさしのぞきけしき見るに、斧の柄も朽(くち)ぬべきなめりと、いとむつかしかめれば、ながやかにうちあくびて、みそかにと思ひて言ふらめど、
「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」
といひたる、いみじう心づきなし。
かのいふものはともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞こへえるつことも失するやうにおぼゆれ。
また、さは色にいでてはえ言はず、
「あな」
とたかやかにうちいひ、うめきたるも、下行く水の、といとほし。
立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などのもとにて、
「雨ふりぬべし」
など聞こえごつも、いとにくし。
いとよき人の御供人などはさもなし。
君達(きんだち)などのほどは、よろし。
それよりくだれる際(きは)は、皆さやうにぞある。
あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ、率(ゐ)てありかまほしき。