ドヴァーラヴァティーとは
ドヴァーラヴァティーとは、6世紀から11世紀にかけて現在のタイ中部に存在した古代のモン族の王国です。この王国は、チャオプラヤー川流域を中心に広がり、仏教文化の発展に大きく寄与しました。
ドヴァーラヴァティー王国の成立と発展
ドヴァーラヴァティー王国は、7世紀頃に成立し、11世紀まで続きました。この王国は、複数の都市国家の連合体として機能し、ナコーンパトムやウートーンなどの主要都市を中心に発展しました。ドヴァーラヴァティーという名称は、インド神話の都市「ドヴァーラヴァティー」に由来し、1884年に翻訳家が中国の僧侶玄奘の記録を翻訳した際に初めて使用されました。
文化と宗教
ドヴァーラヴァティー王国は、仏教文化の中心地として知られています。特に、上座部仏教が広く信仰され、多くの仏教寺院や仏塔が建設されました。これらの建造物は、インドのグプタ朝の影響を受けたサールナート様式を反映しており、衣に襞がなく薄く見せる仏像が特徴です。また、サンスクリット語、パーリ語、モン語の銘文が刻まれた石碑や法輪も多く見られます。
経済と社会
ドヴァーラヴァティー王国の経済は、農業と交易に依存していました。チャオプラヤー川流域の肥沃な土地を利用した稲作が主要な産業であり、象や馬を交通手段として利用していました。また、銀貨が発行され、これには「徳の高いドヴァーラヴァティーの王」という意味の銘文が刻まれていました。
建築と美術
ドヴァーラヴァティー時代の建築物は、煉瓦造りの寺院やラテライト製の仏塔が特徴です。これらの建物は、煉瓦が用いられ、ミャンマーのピュー文化の建物の煉瓦と規格が似ています。また、建物の壁面には仏陀の姿や本生譚のレリーフが刻まれています。
ドヴァーラヴァティー王国の衰退
ドヴァーラヴァティー王国は、11世紀にアンコール王朝の台頭により衰退しました。特に、クメール王国の影響力が強まり、ドヴァーラヴァティーの都市国家は次第にその支配下に置かれるようになりました。14世紀には、主要な都市であるシーテープがほぼ放棄され、残りの都市はスパンナブーミなどの都市国家連合に分裂しました。