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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / イスラーム世界の発展

イスラム世界の歴史 5 ファーティマ朝、ブワイフ朝、セルジューク朝、アイユーブ朝ほか

著者名: ピアソラ
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イスラム世界分裂の過程

後ウマイヤ朝の成立によって、イスラム世界の分裂がはじまります。

同時期に、モロッコにイドリース朝(789~926)というシーア派初の王朝も建国されました。


これ以降のイスラム世界は、非常にややこしい状況になっていきます。覚えることも多いのですが、がんばって学習していきましょう!

まず、次の図を見てください。(クリックで拡大します。)

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この図は、後ウマイヤ朝以降の分裂の過程を表しています。

ものすごい数の王朝が乱立しているのがわかると思います。

8世紀アッバース朝全盛期の時代に、後ウマイヤ朝が建国されイスラム世界が分裂し、モロッコにもイドリース朝ができる。このあと、各地域にできた王朝を、時代ごとに一つずつ見ていきましょう!

10世紀のイスラム世界


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ファーティマ朝(909~1171)

北アフリカのチュニジアに建国された過激シーア派(イスマーイール派)の王朝です。
この王朝は、成立当初からカリフを称します。その後929年に、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世もカリフの称号を使い始めました。

つまり、アッバース朝、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝の三人のカリフが、自らの正統性を主張したため、これ以降イスラム世界の分裂が加速します。

チュニジアからエジプトに拠点を移したファーティマ朝は、969年ナイル川の下流に首都カイロを建設します。カイロはその後紅海貿易で大発展し、イスラム文化が栄えます。

また、カイロにアズハル学院というマドラサ(大学)を創設します。最初イスマーイール派(シーア派)の学術機関でしたが、その後アイユーブ朝、ブワイフ朝の時代にはスンナ派のイスラム神学と法学の最高学府になります。

ブワイフ朝(932~1062)

イラン系シーア派のイスラム王朝です。
この王朝は、946年バグダートを占領し、アッバース朝のカリフから大アミールという称号を受け、カリフから政治的・軍事的権限を奪ったので、これ以降アッバース朝のカリフは名目的な存在になります。

もう一つ重要なのが、イクター制を始めたことです。

ウマイヤ朝やアッバース朝が行なっていたアター制は、征服地からの徴税で、官僚や軍人のアター(棒給)を払うという制度でした。ところがカリフの権力の衰えとともに税収入が減ったため、軍人に土地の管理と徴税権を直接与えるイクター制が始められます。

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(アター制とイクター制)

サーマーン朝(875~999)

サッファール朝の後できた、中央アジア初のイラン系王朝です。アッバース朝から、事実上独立しました。

この王朝は、中央アジアにイスラム教を伝えました。この王朝で活躍した文化人が、医学者・哲学者のイブン=シーナーです。

カラ=ハン朝(10世紀中頃~12世紀中頃)

中央アジアのトルコ系イスラム王朝です。サーマーン朝を滅ぼした後、トルコ人のイスラム化を進めました。

その後東西に分裂し、東側をモンゴル系の西遼(カラ=キタイ)が、西側をトルコ系のホラズムが滅亡させます。

11世紀後半のイスラム世界


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ムラービト朝(1056~1147)

西サハラにベルベル人が建国したイスラム王朝です。
首都マラケシュを中心に栄えます。

ガーナ王国を滅亡させ、アルジェリアやイベリア半島にも侵攻しました。

セルジューク朝(1038~1194)

中央アジアにトゥグリル=ベクが建国したスンニ派イスラム王朝です。
トゥグリル=ベクは、1055年にバグダートに侵攻しブワイフ朝を滅亡させ、アッバース朝のカリフを開放します。
カリフはその返礼として、トゥグリル=ベクにスルタンの称号を与えました。

スルタンというのは、イスラム世界の世俗的な君主のことです。これにより、政治や軍事の最高権力者として、スルタンの称号がイスラム世界の君主の呼び名になり、イスラム世界は宗教権威のカリフと世俗権威のスルタンの2人に権力がわかれることになりました。


セルジューク朝は1071年にマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を破り、アナトリア地方(現在のトルコ)を手中に収めます。この地には、セルジューク族の分派がルーム=セルジューク朝という別の王朝を建てます。

セルジューク朝の最盛期は、マリク=シャー(在位1072~1092)の時代でした。彼を支えたのが、イラン系の名宰相ニザーム=アルムルクです。

彼は、イクター制を更に進め、ニザーミヤ学院というマドラサを作り、イスラム文芸を奨励します。

この時代のセルジューク朝の文化人に、『ルバイヤート』を記したオマル=ハイヤームがいます。

ガズナ朝(962~1186)

アフガニスタンのガズナに建国されたトルコ系イスラム王朝です。

ガズナ朝は度々インドに侵入し、インドのイスラム化のきっかけを作ります。
また、この王朝で活躍した文化人として、『シャー=ナーメ(王の書)』を記したイラン人歴史学者フィルドゥシーがいます。

12世紀のイスラム世界


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ムワッヒド朝(1130~1269)

モロッコに興ったイスラム王朝です。
ムラービト朝を滅亡させ、チュニジアまで支配します。
首都はムラービト朝と同じくマラケシュです。

アイユーブ朝(1169~1250)

クルド人の武将で、ファーティマ朝の宰相だったサラディン(サラーフ=アッディーン)によって建国された王朝です。

サラディンは、1169年にアイユーブ朝を建国後、1171年にファーティマ朝を滅ぼしました。また、1187年に聖地エルサレムをキリスト教徒から奪還します。

その後、第3回十字軍とも戦い、これに勝利し、エルサレムを防衛したため、イスラム世界の英雄になりました。

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(サラディン)

アイユーブ朝は、その後も第3回、第5回、第6回十字軍とも戦いました。サラディンの死後、領土は一族に分割され、最終的に1250年マムルーク朝に滅ぼされます。

ホラズム朝(1077~1231)

セルジューク朝の太守が独立し、ホラズムに建てた国です。

ゴール朝を滅ぼし、13世紀にイランの広大な領土を支配しますが、1220年チンギス=ハンに征服されます。

ゴール朝(1148~1215)

アフガニスタンのゴールを中心に建国されたイスラム王朝です。
同じ地域にあったガズナ朝を滅亡させ、インドへの侵入を繰り返しました。

この時、インドのヒンドゥー教諸国を破りつつインドのイスラム化を決定的にします。

最終的に内紛で弱体化し、ホラズム朝に滅ぼされます。
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・イスラム世界の歴史 5 ファーティマ朝、ブワイフ朝、セルジューク朝、アイユーブ朝ほか

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『詳説世界史研究』 山川出版社
『世界史図録ヒストリカ』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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