パルティアとササン朝の文化
パルティアはイラン人の国家でしたが、ヘレニズムの影響を強く受けたため、ギリシア文化やギリシア文字を中心に発展していきました。はじめギリシア色の濃かったパルティア文化も、次第にゾロアスター教やその他のイラン的色彩も交わり、独自の文化を創りあげました。
ササン朝の時代になると、ゾロアスター教が正式に国教となり、「
アヴェスター]」という聖典が編纂されアケメネス朝時代の文化が復活します。
ササン朝では、他宗教の信徒も比較的寛容に扱われ、さまざまな信者が共存していたと考えられています。
3世紀に入ると、ゾロアスター教やキリスト教、仏教などからなる
マニ教という新しい宗教が生まれましたが、これはのちに異端とされたので、東方へと伝わりました。また、ヨーロッパ世界で
ネストリウス派キリスト教が異端とされると、ササン朝を経由して唐の時代の中国にまで伝えられ、中国ではネストリウス派キリスト教のことを
景教というようになりました。
このように、ササン朝は東西の文化の中継地として国際色豊かな文化を育んでいきました。ササン朝の工芸を中心とした美術品は、イスラム世界に継承されると同時に、ビザンツ帝国を通じてヨーロッパ世界に、中国を通じて飛鳥時代の日本にまで伝わり、当時の世界のさまざまな地域の文化に大きな影響を与えました。
ササン朝の文化に影響を与えられて製作された日本の文化財が、正倉院の漆胡瓶や白瑠璃碗、法隆寺の獅子狩文錦などです。
おわりに
ヘレニズムを色濃く継承したイラン地方のさまざまな王朝は、その後ざまざまな形で世界中に伝播して行きました。ササン朝の文化の一部は、その後イスラム世界の形成に大きな影響を与えたとされています。