朱元璋の妻を馬氏といいます。馬氏はよく気が利くし、朱元璋にもよく仕える妻でした。馬氏は幼い頃に父母を失い、亡父の親友であった郭子興に引き取られて養女になりました。
馬氏は、朱元璋が郭子興のもとにいれば陰になり日向になって夫を助けました。夫が戦場に出れば、部下の軍衣のほころびや軍靴のやぶれをつくろい、あるいは乏しい財布からお金を全部出して将士をねぎらいました。朱元璋には冷酷な指導者の一面がありましたが、馬氏は時に朱元璋に、部下を冷たくあしらわないよう優しく注意したりしました。
よく気の利く婦人でもありました。ある時天子となった朱元璋が、太学(たいがく、官吏養成のための大学)に何かの用事で顔を出して帰ってくると、馬皇后は学生の数を尋ね、その妻子家族にも手当てを支給するように申し出ました。この時はまだ建国したばかりで、これから明を支える官吏になる学生たちだけでなく、その家族も優遇すべきだとわかっていたのです。
馬皇后はもともとは貧しい身分だったので、威張ることもなく、慎ましい態度を常に持っていました。朱元璋が即位して太祖になった後も、その食事は召し使いにはつくらせずに自ら準備しました。
朱元璋も常に馬皇后には感謝をしていたようで、馬皇后が51歳で亡くなると、ふだんは物事に動じない朱元璋も深く泣き悲しみ、その後は再婚することもなかったのでした。