はじめに
江戸時代が終わり西洋との接点が増えた明治時代に、近代日本において初めての憲法である
大日本国憲法が制定されました。当時のドイツ憲法をもとに、明治政府が作成したものです。そして現在の日本の憲法である
日本国憲法は、太平洋戦争が終わったあとにGHQ指導のもと作られました。
ここでは大日本帝国憲法と日本国憲法の異なる点、特に
2つの憲法の特徴と
国民に対してどのように接していたのかをみていきましょう。
欽定憲法か民定憲法か
天皇が国民に与えるという形で制定された憲法のことを
欽定憲法と言います。
一方で国民が主導して制定された憲法のことを
民定憲法と言います。
大日本帝国憲法は欽定憲法で、日本国憲法は民定憲法という扱いになります。
天皇の持っていた権利
大日本帝国憲法と日本国憲法とでは、天皇の持つ権力が大きくことなります。
まず大日本帝国憲法において天皇は、
天皇大権と呼ばれる以下の権利を持っていました。
■統治権
主権が天皇にあることを意味します。
主権とは、日本がどのように進んでいきたいのかを決める権利のことです。
■立法権
国会ではなく天皇が唯一の立法機関であって、国会はあくまでもそれを補佐するものと定められていました。
■軍の統帥権
軍の指揮権と言ってもいいでしょう。
日本国憲法では、
上に挙げた3つの権利は天皇にはありません。
日本国憲法下で天皇は、
国民の象徴とされ、政治的な力は持っていません。
国民の扱い方
大日本帝国憲法のもとで日本国民は、
臣民とされていました。
臣民とは、君主に支配される国民のことで、ある程度の自由権は認められていましたが、有事のときには国民の権利よりも天皇の命令が優先されることになります。
一方で日本国憲法で日本国民は、
基本的人権を持ち、この基本的人権は誰にもおかすことのできない、永久な権利として保障されています。つまり、天皇がいくらえらくても、国民の権利を侵害することはできないということですね!
軍隊の有無
大日本帝国憲法の下で、日本は軍隊を持つことが許されていました。すべての成人男性には兵役(兵隊になって訓練をすること)の義務がありました。日本国憲法では、
軍隊を持つこと自体が禁止されていますね。
国民の義務
国民の義務も大きくことなります。大日本帝国憲法における国民の義務は、
兵役の義務と
納税の義務でしたが、日本国憲法では
子供に教育を受けさせる義務、
納税の義務、
勤労の義務の3つが国民の義務となっています。
以上、大日本帝国憲法と日本国憲法の違いの中でも、憲法の特徴と国民がどのように扱われていたのかについてまとめてみました。