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江戸時代の三大俳人

著者名: 春樹
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江戸時代の三大俳人 松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶

俳句の世界で多大なる功績を残した人物が江戸時代に3人存在しました。
松尾芭蕉与謝蕪村小林一茶です。
松尾芭蕉

弟子の曽良とともに、東北・北陸・中部地方までの旅を記した紀行文「奥の細道」が一番有名な著書でしょう。

松尾芭蕉は、江戸時代前期の俳句の先駆者であり、俳句の祖としても知られる人物です。彼は、滑稽でユーモラスな要素を取り入れた俳諧のスタイルを、芸術的で洗練された「蕉風」というスタイルに発展させ、後の俳句に多大な影響を与えました。また、芭蕉は弟子の河合曾良と一緒に、東北地方から北陸地方まで旅をし、その経験を紀行文『おくのほそ道』として書き残しました。この作品は、日本文学の名作として広く読まれています。

生い立ちと経歴

芭蕉は1644年に伊賀国(現在の三重県伊賀市)の豪族の家に生まれました。子供の頃の名前は金作でした。
1662年には、伊賀国上野の侍大将である藤堂良忠に仕えることになりました。良忠は俳諧師でもあり、京都の北村季吟から学んでいました。芭蕉も季吟からの指導を受けるようになりました。
1666年に良忠が亡くなると、芭蕉は仕官を辞めました。俳号は宗房と名乗るようになりました。
1672年には初の句集『貝おほひ』を上野天神宮に奉納しました。俳号は桃青に改められました。
1675年には江戸に移り住み、磐城平藩主の内藤義概のサロンに出入りするようになりました。
1678年には俳諧の宗匠となり、深川に芭蕉庵という草庵を構えました。この頃に俳号を芭蕉に改めました。
1684年には最初の紀行文『野ざらし紀行』の旅に出発しました。
1689年には弟子の河合曾良と一緒に江戸から奥州、北陸道を旅し、その経験を『おくのほそ道』という旅行記として執筆しました。
1694年には大坂で病に倒れ、享年50歳で亡くなりました。

句のスタイル
芭蕉は自身の句のスタイルを「不易流行」と表現しました。「不易」とは変わらない本質を指し、「流行」とは時代の変化を意味します。芭蕉はこれらの要素を統合し、自然や人生の真実を表現することを目指しました。
また、芭蕉は「風雅」という言葉も重視しました。ここでいう「風」とは自然や社会の様子を指し、「雅」とは文化や教養を意味します。芭蕉はこれらの要素を調和させ、清新で優美な詩情を作り出そうとしました。
さらに、芭蕉は「さび」「しおり」「細み」「かるみ」といった言葉で自身の句のスタイルを説明しました。ここでいう「さび」とは孤独や寂しさ、「しおり」とは切なさや哀愁、「細み」とは繊細さや精緻さ、「かるみ」とは軽快さや洒落た雰囲気を指します。芭蕉はこれらの感性を持ちながら、自然や人間の姿を詠みました。

代表作

古池や蛙飛びこむ水の音
閑さや岩にしみ入る蝉の声
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
夏草や兵どもが夢の跡
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり。」の冒頭はあまりにも有名です。一般教養としてこの1文ぐらいは覚えておいて損はないでしょう。

さて俳句のスタイルですが、蕉風と呼ばれる、ひっそりとしていて上品な風流を確立させました。

与謝蕪村

与謝蕪村は俳人であると同時に、画家でもありました。そのために彼の俳句からは、絵画的な印象を受けると言われています。

与謝蕪村(よさ ぶそん)は、江戸時代の中ごろに活躍した俳人と画家です。彼は1716年に大阪府都島区の摂津国東成郡毛馬村で生まれ、20歳ごろに江戸に出て早野巴人(はやの はじん)に俳諧を学びました。その後、松尾芭蕉の足跡をたどり、東北地方を放浪した後、丹後の与謝に定住しました。42歳の頃には京都に移り、俳諧と絵画の両方で名声を得ました。1784年、68歳で亡くなりました。

与謝蕪村は、現実的で絵画的な句を得意とし、「蕉風回帰」という概念を提唱し、俳句の新たな領域を開拓しました。また、独学で学んだ文人画(南画)の才能もあり、独自の芸術である「俳画」を確立しました。

与謝蕪村の代表作には、俳句集として「その雪影」「明烏」「一夜四歌仙」といった「蕪村七部集」があります。絵画では、「夜景楼台図」「十宜図」「山水図屏風」「奥の細道図巻」などが有名です。

長い間、与謝蕪村は忘れられていましたが、明治時代になって正岡子規や萩原朔太郎によって再評価され、現代まで俳人・画家として語り継がれるようになりました。与謝蕪村の俳句は、現実的で絵画的な表現が特徴で、四季の風景や感情を鮮やかに詠んだ作品が多くあります。以下に、季節ごとにいくつかの俳句を紹介します。

春の俳句

春の海 終日のたり のたりかな
春の海には、ゆるやかな波が一日中寄せ返ししている。穏やかな春の情景を、「ゆるやかに波立つ」という表現で表しています。

菜の花や 月は東に 日は西に
広がる菜の花の中で、月が東から昇り、太陽が西に沈んでいく様子を見ている。菜の花の黄色と空の青と夕焼けの赤との対比が印象的です。

行く春や 重たき琵琶の 抱き心
春の終わりを感じながら、琵琶を抱えて琴を弾く。しかし、琵琶が重く感じられるほどの物憂げな心境である。春の倦怠感や哀愁を詠んだ句です。

夏の俳句

伏勢(フセゼイ)の 錣(シコロ)にとまる 胡蝶哉
伏せた穴の上に蝶が止まっている様子を詠んでいます。伏せた穴は敵から身を隠すために掘った塹壕や壕堀のことで、蝶がその上に止まっている光景を描写しています。緊迫した戦場の情景と美しい蝶との対比が効果的です。

夏木立 鳴くや猫鼬(ねこゆう) 鳴くや猫
夏の木立で鳴いているものが猫鼬かと思ったら、実は猫だった。猫鼬はイタチ科の動物で、尾が長く猫よりも小さいです。猫鼬も猫も夜行性なので、夜に鳴くことがあります。この句では、「鳴くや」という言葉の繰り返しで、作者の驚きや戸惑いを表現しています。

朝顔に 我は飯食ふ 男かな
朝顔を見ながら朝食を食べている自分は、男らしいと思っている。朝顔は一日しか咲かない花なので、その儚さや美しさを詠むことが多いですが、この句では朝顔をただ目に入った風景として捉えており、作者の無頓着さや豪快さが感じられます。

秋の俳句

又平に 逢ふや御室の 花盛り
友人である俳人・山本又平と会い、京都の御室桜を見に行こうという意味です。この句は作者が描いた絵にもなっており、花に浮かれて踊りだす様子が表現されています。

月夜見る 猿も小蓑の 恋しさよ
月夜に猿が鳴いているのを見ている。猿も小さな蓑を着た人間のように恋をしているのかもしれない。猿は人間に似た動物なので、作者は猿の鳴き声に自身の恋心や寂しさを重ね合わせています。

木枯らしや 鶏頭(けいとう)にはさむ 紅葉かな
木枯らしの冷たい風が吹き、秋に咲く鶏頭の花に紅葉が挟まっている様子を詠んでいます。紅葉は木枯らしに吹かれて散ってしまう運命ですが、鶏頭の花に守られているように見えます。秋から冬への移り変わりと、花と紅葉の対比が美しい句です。

冬の俳句

雪ふれば 山も川も 一つ哉
雪が降り、山や川が一つの白い世界となる様子を詠んでいます。雪の美しさと力強さ、冬の厳しさを感じることができます。

ふるさとや 雪は降りけり 父母(ちちはは)墓
故郷に戻ると、雪が降って父母の墓が白く覆われている。亡き父母を思い、悲しみと郷愁が詠まれています。

かまくらの中で春日を楽しんでいるが、外は雪が降っている。冬の楽しみ方と寒さを対比させた句です。

他にも以下のような句があります

・さみだれや大河を前に家二軒
・ちりて後おもかげにたつぼたん哉

人の心よりも、景色の方が先に浮かび上がる句ですね。
ちなみに、俳句と絵を一緒に描くアートである俳画というジャンルを確立させたのは与謝蕪村であると言われています。

小林一茶

小林一茶(こばやし いっさ)は、江戸時代後期に活躍した俳人です。本名は小林弥太郎で、一茶とは俳号のひとつです。松尾芭蕉、与謝蕪村と並んで「江戸の三大俳人」と呼ばれています。一茶の俳句は、自然や生き物、特に虫や小動物を詠んだものが多く、擬声語や擬態語などのオノマトペを多用しています。一茶の人生は苦労が多く、幼い頃に母や祖母を亡くし、父の遺産を巡って継母や弟と争い、結婚しても妻や子どもに先立たれるなど不幸が続きました。しかし、その中で詠んだ俳句は、「一茶調」と呼ばれる独自の作風を確立し、多くの人々に愛されています。

花の影さすやうな月夜かな
季語:花(春)
現代語訳:花が咲き乱れる春の夜に、月が花に影を落としているように見える。美しい光景だなあ。
解説:花と月という美しいものを組み合わせた句です。花の影という言葉は、花が月光に照らされて浮かび上がっているように見えることを表しています。また、さすやうなという表現は、花が月に向かって手を差し伸べているように見えることも示唆しています。この句は、春の夜の情緒を感じさせる優美な句です。

雪とけて村いっぱいの子どもかな
季語:雪とけて(春)
現代語訳:雪解けの季節を迎えて、待ちかねていたかのように子供たちが外へ飛び出し、村中で遊んでいることだ。
解説:雪解けと子どもという春らしいものを組み合わせた句です。雪解けは、冬が終わり春が始まることを示す季節感あふれる言葉です。子どもは、春の暖かさや明るさに喜んで外で遊ぶ姿が目に浮かぶ言葉です。この句は、長い冬が終わり待ちに待った春の到来を喜ぶ元気な子どもたちの姿を表しています。

雀飛び出す我も飛び出せり門口より
季語:雀(秋)
現代語訳:雀が飛び出していくのを見て、私も飛び出していこうと思った。門口から外へ出るところだ。
解説:雀と我という同じ動作をするものを組み合わせた句です。雀は、秋になると活発に動き回る鳥です。一茶は雀が飛び出していく様子に感化されて、自分も飛び出していこうと思ったようです。この句は、秋の日の行動力や冒険心を表しています。

おらが世やそこらの草も餅になる
季語:草(も)餅(春)
現代語訳:春ともなれば、そこら辺に生えている蓬(ヨモギ)の若草を摘んで、草餅にして食べよう。有難い世になったものだなぁ。
解説:草餅とおらが世という身近なものを組み合わせた句です。草餅は、春に摘んだヨモギを練り込んだ餅で、春の味覚です。おらが世は、自分が生きているこの世界や時代を表す言葉です。一茶は草餅を食べることで、自分の世界に満足していることを表現しました。この句は、春の日の感謝や幸せを表しています。
めでたさも中くらいなりおらが春

季語:おらが春(春)
現代語訳:新年を迎えめでたいというけれど、いい加減なものだ。それもまた自分にとってはふさわしいものではないか。
解説:おらが春と中くらいという自虐的なものを組み合わせた句です。おらが春は、自分だけの春や自分流の春を表す言葉です。中くらいは、上でも下でもなく平凡なことやあまり良くないことを表す言葉です。一茶は新年を迎えても特別めでたくないことや自分の境遇に不満があることを詠みました。この句は、春の日の皮肉や苦笑を表しています。
他にも以下の句があります。
・雀の子そこのけそこのけお馬が通る

という句を耳にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
俳句という難しい世界観において、小林一茶は日常から生まれた感情を大切に、庶民的な句を読み上げていきました。
主な著作は「おらが春」です。
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『新国語要覧』 大修館書店
『自由自在 中学国語』 受験研究社

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