葬式のしきたり
どの時代であっても「死別」は悲しいものです。
当時の葬式のしきたりや、式の後どのような慣例があったかについて述べたいと思います。
死
まず「死」のことを、避けられない別れということで「
さらぬ別れ」と言います。
他にも、「死ぬ」という直接的な表現ではなく、
「失す」、
「消ゆ」、
「隠る」などという場合もあります。
お葬式
そして葬式場まで送り出すことを「
野辺送り」と言っていました。当時の埋葬方法は火葬でした。
※死から葬式までについては、源氏物語で桐壺の更衣が死去してしまったシーンが特に理解しやすいと思いますので、是非一度目を通しておいて下さい。
源氏物語 桐壺編
喪
葬式のあと、人々は喪に服します。
喪に服す期間は亡くなった人によって異なり、実の父母が亡くなった場合は1年ほど、養父母が亡くなった場合は5ヶ月、妻子や兄弟であれば3ヶ月ほどと細かく決められていました。
またこの期間、身にまとう服も死者との関わりの深さによって変わってきます。関わりが深いほど、色も濃くなっていきます。
つまり、死別の悲しみと比例して喪服の色も濃くなると覚えておけばいいでしょう。
まとめると以下のようになります。
仏教の影響:平安時代には、仏教が広がり、葬儀にも仏教の教えや儀式が取り入れられました。火葬や高野納骨、読経や法要などは、仏教の影響が見られます。また、新しい宗派である天台宗や真言宗が登場し、山岳仏教が発展しました。
身分差:平安時代には、貴族と庶民の身分差が大きく、葬式にもその差が現れました。貴族は朝廷や寺院から位牌や位記などの贈り物を受けたり、自分のために寺を建立したりしました。一方、庶民は貴族に仕えることで墓地を得たり、共同墓地を利用したりしました。
文学作品:平安時代には、女性貴族文学が隆盛し、「源氏物語」や「枕草子」などの作品には葬式に関する描写が多く見られます。これらの作品は、当時の葬儀や貴族の生活を知る貴重な史料となっています。