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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / フランス革命

フランス革命の進展② ~フランス人権宣言成立、ヴェルサイユ行進、ヴァレンヌ逃亡事件~

著者名: エンリケ航海王子
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ヴァレンヌ逃亡事件

国民議会の改革が次々と行われる中、議会と王室をつなぐ役割を果たしていた穏健派議員のミラボーが死去すると、革命は急速に勢いを増していきました。

急進する革命に危機感を覚えた国王一家は、密かにオーストリアと連絡を取り、亡命を望むようになります。

ここでなぜオーストリアが出てくるのか疑問に思うかもしれませんが、その背景は、ルイ16世の王妃マリー=アントワネットの出身が関係しています。

マリー=アントワネットは、神聖ローマ皇帝フランツ1世と大公マリア=テレジアの娘でした。政略結婚によってルイ16世と結婚した彼女は、革命の被害を受ける前に、王と共に実家のオーストリアに亡命しようとしたわけです。

1791年6月20日、国王一家はオーストリアへの亡命を決行します。しかし、翌日21日には国境近くのヴァレンヌで捕まり、パリへ連れ戻されてしまいました。

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(パリに連行される国王一家の馬車)

この事件により、それまで国王に対して中立的意見を持っていた国民も、国を捨て逃亡を試みた君主の姿に落胆し、革命勢力は一層急進する結果となりました。

一方、マリー=アントワネットの兄で、当時のオーストリア皇帝だったレオポルト2世は、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム2世と共にピルニッツ宣言を出します。

これは、ヴァレンヌ事件の後、フランス国王一家を救う内容で、仮に国王一家に危害が加えられた場合、オーストリア・プロイセン両国がフランスに干渉するというものでした。

ここでのフリードリヒ=ヴィルヘルム2世は、フリードリヒ大王(フリードリヒ2世)の甥で別人です。


緊迫した状況が続く中、国民議会は1791年9月3日に憲法を採択します。これを1791年憲法というのですが、その内容は立憲君主制や財産資格選挙、一院制の規定等でした。この憲法の特徴は、政治参加を裕福なブルジョワジー以上に限定するというもので、下層市民の支持を得ることのできるものではありませんでした。
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