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18_80 アジア・アメリカの古代文明 / インドの古代文明

クシャーナ朝とは わかりやすい世界史用語782

著者名: ピアソラ
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クシャーナ朝とは

クシャーナ朝は、紀元前2世紀から紀元後3世紀にかけて中央アジアからインド北部にかけて広がった帝国であり、その起源は中央アジアの遊牧民である大月氏(またはバクトリア土着のイラン系民族)にさかのぼります。月氏は匈奴によって西方へ追いやられ、最終的にバクトリア(現在のアフガニスタン北部)に定住しました。ここで、月氏の一部であるクシャーン族が他の部族を統合し、強力なクシャーナ朝を築き上げました。

クシャーナ朝の拡大と影響

クシャーナ朝は、紀元1世紀から3世紀にかけて最盛期を迎え、その領土は現在のアフガニスタン、パキスタン、インド北部に広がりました。クシャーナ朝は、シルクロードの重要な交易路を支配し、東西の文化交流を促進しました。

クシャーナ朝の最も有名な王は、カニシカ王であり、彼の治世下で帝国は最大の繁栄を迎えました。カニシカ1世は仏教の大いなる庇護者であり、彼の支援により仏教は中央アジアから中国に広まりました。



文化と宗教

クシャーン人は多様な文化と宗教を受け入れました。彼らの宗教は、仏教、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、マニ教などが混在していました。特に仏教は、クシャーナ朝の庇護の下で大いに発展し、ガンダーラ美術と呼ばれる独自の仏教美術が生まれました。

ガンダーラ美術は、ギリシャ・ローマの影響を受けた仏教美術であり、仏像や仏教遺跡にその特徴が見られます。この美術様式は、後に中国や日本にも影響を与えました。

経済と交易

クシャーナ朝は、シルクロードの要所を支配していたため、東西交易の中心地として繁栄しました。彼らは中国から絹や陶器を輸入し、ローマ帝国には香辛料や宝石を輸出しました。この交易活動により、クシャーナ朝は経済的にも大いに発展しました。

クシャーナ朝の衰退

クシャーナ朝は、3世紀後半から徐々に衰退し始めました。サーサーン朝ペルシアやグプタ朝インドなどの新興勢力の台頭により、クシャーナ朝の領土は縮小し、最終的には4世紀に滅亡しました。

クシャーナ朝の歴史は、中央アジアからインドにかけての広範な地域での文化交流と交易の重要性を示しています。彼らの遺産は、今日でも仏教美術やシルクロードの歴史に見ることができます。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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