シュメール人の都市国家ウル
ウルは古代メソポタミアの重要な都市国家でした。現在のイラク南部のナシリヤ近くにあるテル・エル・ムカイヤルという遺跡にその姿をとどめています。ウルは紀元前3800年頃に建設され、紀元前2600年頃からは王国として記録に残っています。ウルの最初の記録にある王はトゥトゥエスという名前でした。ウルの守護神はナンナ(アッカド語ではシン)という月の神で、ウルという名前はもともとこの神の名前から派生したものです。
イギリス人考古学者ウーリーが発見しました。
ウルはウバイド期から鉄器時代まで繁栄しましたが、特にウル第三王朝の時代に最盛期を迎えました。ウル第三王朝の創始者は
ウル・ナンムという王で、紀元前21世紀にメソポタミア南部の大部分を統一しました。ウル・ナンムはウルのジッグラト(階段状の神殿塔)を建設し、ナンナの神殿を飾りました。ウル・ナンムはまた、世界最古の法典の一つであるウル・ナンム法典を制定しました。この法典は約300の条文からなり、罪と罰、財産権、家族関係、奴隷制度などについて規定しています。
ウル第三王朝のもう一人の有名な王はシュルギでした。シュルギはウル・ナンムの孫で、紀元前21世紀後半にウルの領土を拡大しました。シュルギは文化や宗教にも関心が深く、多くの文学作品や碑文を残しました。シュルギは自分の神聖な起源や偉業を誇り、自分を「四方の王、黒頭の民の牧者」と呼びました。シュルギはまた、ウルからナンナの重要な聖地であるニップルまでの道を整備し、毎年の巡礼を行いました。
ウル第三王朝は紀元前20世紀初頭にエラム人の侵入によって滅亡しましたが、ウルはその後も重要な都市として存続しました。紀元前18世紀にはバビロニアのハンムラビ王によって支配されました。紀元前6世紀には新バビロニアのナボニドゥス王がウルのジッグラトを修復しました。しかし、紀元前5世紀にはウルは放棄され、その存在は忘れられてしまいました。
ウルは19世紀にイギリスの探検家によって再発見され、20世紀にはイギリスの考古学者チャールズ・レオナード・ウーリーによって発掘されました。ウーリーはウルの王墓を発見し、金や宝石、青銅などの豪華な品々を発掘しました。これらの品々はウルの古代の富と文化を示すものでした。ウーリーはまた、ウルの日常生活や宗教儀式、経済活動などについて多くの情報を得ました。
ウルは人類史上最古の文明の一つであり、メソポタミアの歴史や文化に大きな影響を与えました。ウルはまた、聖書に登場するアブラハムの故郷としても知られています。ウルは現代の人々にとっても興味深い都市であり、その遺跡は2016年にユネスコの世界遺産に登録されました。