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17_80 第二次世界大戦後の日本と世界 / 占領下の日本

【冷戦のはじまり、アメリカ対日政策の転換、ドッジ=ライン】 受験日本史まとめ 83

著者名: Cogito
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冷戦のはじまり

1945年(昭和20年)10月、51カ国が参加し、国際連合が創設されました。広島・長崎に投下した原子爆弾の威力により、第二次世界大戦を集結させたアメリカは、世界的に見て絶対的な力を有する大国とみなされました。また、他方ドイツの東部戦線においてソ連もその軍事力を見せつけ、ドイツ敗戦後空白地帯となった東ヨーロッパに勢力を伸ばしつつありました。こうして、アメリカ合衆国ソヴィエト連邦という2つの大国が、第二次世界大戦後の国際秩序の形成をめぐり、対立するようになりました。

1946年(昭和21年)3月に、アメリカで演説した前英首相チャーチルは、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている。」という「鉄のカーテン演説」を行い、ヨーロッパにおける東西対立が深刻化しつつあることを示唆しました。1947年(昭和22年)3月には、アメリカのトルーマン大統領により反共演説(トルーマン=ドクトリン)がなされました。こうして、アメリカとイギリスは共同でソ連に対する封じ込め政策を進めました。アメリカはギリシア・トルコに対する緊急援助を皮切りに、1948年(昭和23年)西ヨーロッパの復興援助計画のマーシャル=プランを進め、共産主義勢力と対決姿勢を明らかにし、1949年(昭和24年)には北大西洋条約機構(NATO)が結成されました。

一方、ソ連は1947年(昭和22年)9月にコミンフォルム(共産党・労働者党情報局)を結成し、東欧諸国との相互援助条約締結や原爆実験の成功(1949年)により西側との対決姿勢を明確にしました。ドイツ敗戦後、1948年(昭和23年)占領地のベルリンをソ連が封鎖すると、西側諸国はベルリンへ空輸を行い、ドイツ分断が決定的となりました。1949年(昭和24年)5月には、アメリカ・イギリス・フランスが共同管理するドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立し、10月にはソ連が管理するドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立しました。こうした東西対立は「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれ、ヨーロッパの緊張は世界的な冷戦へとつながっていきました。

一方アジアでも冷戦がはじまりました。中国では、国共内戦で共産党が優位となり、1949年(昭和24年)10月に、毛沢東(1893~1976)を主席として、中華人民共和国が成立しました。対立していた蒋介石の国民党は台湾に逃れ、中華民国政府を存続させました。朝鮮半島では、戦後北緯38度を境に北をソ連が、南をアメリカが分割占領していました。戦後初期にあった独立統一案は放棄され、1948年(昭和23年)8月に南に大韓民国(韓国)が、同年9月に北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立されました。
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