日本国内では、初期の勝利により、政府や軍部を支持する国民感情が高まりました。東条英機内閣は、これを期に1942年(昭和17年)4月に衆議院議員総選挙を実施しました。この翼賛選挙は、政府系の団体が定員だけの候補者を推薦するもので、自由立候補も認められたものの、選挙の結果は当選者の8割以上が推薦候補でした。当選者は翼賛政治会に組織され、戦争遂行の国内体制が強化されました。また、産業報国会・農業報国連盟・大日本婦人会・文学報国会などが大政翼賛会に組み込まれ、各界各階層の人々が戦争協力に動員されるようになりました。1942年(昭和17年)12月、内閣情報局の指導のもと、戦勝に協力的な言論人が集められ、大日本言論報国会が結成され、言論界への指導・統制が強化され、ジャーナリズムは”鬼畜米英”などの言葉を盛んに使い、国民の敵愾心を煽っていきました。
経済面でも戦時体制は強まり、官僚統制による諸企業に対する資材や、生産の割当・価格決定・利潤分配などが決められ、民間の工場が軍事工場に転用されていき、民需が圧迫されました。若い労働者は兵士として戦地に送られたため、労働力不足が深刻となり、それを補うために徴用制度が拡大され、学徒動員により中学校以上の学生や生徒が軍需工場に動員され、女子も勤労動員され、女子挺身隊として工場での労働に従事させられました。
朝鮮や台湾などでは、これまでも志願制度などを通じて現地の人々が日本軍に加わっていましたが、朝鮮では1943年(昭和18年)、台湾では1945年(昭和20年)に徴兵制が実施され、兵役の義務が生じるようになりました。また多くの中国人・朝鮮人が日本に強制連行され、鉱山や土木現場で働かされました。女性の中には、戦地の日本軍の慰安施設で働かされた人々もいました(従軍慰安婦)。
1943年(昭和18年)には文系学生の徴兵猶予が廃止され、学徒出陣により多くの学生が戦地に送られました。東条英機内閣は、こうした戦争遂行を進めると同時に、憲兵隊や警察により国民生活を厳しく監視し、反戦・反政府的言動を厳しく取り締まりました。
一方、アメリカでは対日戦争開始以降、西海岸に住む10万人以上の日系アメリカ人が家や土地を捨てさせられ、強制収容所へ入れられました。市民権を持つ日系2世の中には、アメリカへの忠誠心から志願してアメリカ軍に入った者もいました。
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・ 【太平洋戦争の原因とはじまり、日米交渉の決裂、真珠湾攻撃と緒戦の勝利】 受験日本史まとめ 77
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