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17_80 両世界大戦期の日本と世界 / 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争

【国家総動員法、戦時経済体制、皇民化政策、1930年代の文化】 受験日本史まとめ 75

著者名: Cogito
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軍需品生産の急増で、生産資源は「東亜新秩序」の円ブロック内だけでは足りなくなり、欧米諸国など世界貿易の輸入に今まで以上に依存するようになっていきました。しかし、日本の勢力拡大を脅威と感じたアメリカは、中国への援助を強化し、日本の経済制裁の姿勢として1939年(昭和14年)7月、日米通商航海条約の廃棄を通告しました。これにより、日本の軍需物資の獲得はますます難しくなっていきました。
軍需品の資源優先割当が続く中、民需品の生産・輸入・消費などは厳しい制限を受け、中小企業の強制的な整理・統合も進められました。1938年(昭和13年)には綿糸配給切符制・公定価格制・綿製品製造制限・ガソリン給付制などが実施され、1939年(昭和14年)に価格統制令、1940年(昭和15年)には七・七禁令(贅沢品の製造・販売制限)、1941年(昭和16年)には米の配給制や衣料の切符制がはじまり、国民生活への政府の統制は厳しくなっていきました。

農村では、1940年(昭和15年)から米の供出制(政府の強制的買い上げ制度)が実施され、労働力・肥料・生産資材の不足により1939年(昭和14)年を境に食糧難がはじまりました。資本家や労働者の組織も政治体制に即応して再編成され、1938年(昭和13年)に資本家や労働組合幹部を中心に産業報国連盟が結成され、職場ごとに産業報国会がつくられ、労働組合もその中に改組されました。1940年(昭和15年)には中央統一組織として大日本産業報国会が作られ、農村では農民の組織化が進みました。

戦時体制の強化にともない国家財政は膨張し続け、1930年(昭和5年)に国民所得の5%以下だった軍事費は1940年(昭和15年)には国民所得の20%近い水準にまで高まりました。政府は巨額の歳出を賄うために増税を行いましたが、それではまかないきれず、多額の赤字公債の発行や日本銀行券の増発を続け、インフレーションを抑えることができなくなっていきました。
戦時体制下の文化と国民生活

1930年代にはいると政府の厳しい取り締まりや国家主義的気運の高まりにより転向者が相次ぎ、マルクス主義は衰え日本の伝統文化や伝統思想への回帰がおこりました。1937年(昭和12年)、文部省が『国体の本義』の発行は教学局を設置し『臣民への道』を刊行して国民思想の教化をすすめました。このころから、政府や軍部は、国体論を全面に出し、天皇の神格化につとめ、同年には国民精神総動員運動をおこして、国体観念・軍国主義・国家主義を国民に浸透させるようになりました。1940年(昭和15年)には内閣情報局が設置され、言論報道機関・出版物・映画・演劇などの検閲が強化され、言論の自由は大幅に制約されるようになりました。

教育面では、1941年(昭和16年)に小学校が国民学校に改称され、皇国民の育成・訓練を目的とする国家主義的教育が進められました。また、当時日本の植民地だった朝鮮や台湾では、日本語教育が強化され、姓名を日本風に改める創氏改名の実施や神社参拝・日本語利用の強制など「皇民化」政策が推し進められました。

学問の自由も大幅に制約されました。歴史学では昭和のはじめにマルクス主義の立場から日本近代史の本格的な研究が始まり、『日本資本主義発達史講座』(1932〜33)の編集が行われ、講座派・労農派による日本資本主義や明治維新の本質規定をめぐる論争が活発になりましたが、政治やイデオロギーが学問に優越するという弊害をもたらしました。一方、1920年代から30年代にかけて、自由主義的な立場から吉野作造・尾佐竹猛らにより明治文化や立憲政治成立に関する研究や資料の蒐集が進められ本格的な憲政史研究がはじまりました。しかし、1930年代後半からは、マルクス主義史学や実証主義的なアカデミズム史学にかわり、平泉澄らの国粋主義的な皇国史学が流行し、天皇中心の皇国史観が教え込まれました。

哲学の分野では、ドイツの新カント派の流れをくむ西田哲学が日本の観念哲学として知識人に支持されました。

しかし、学問や思想・言論活動に対する弾圧も起こるようになりました。1937年(昭和12年)、東京帝国大学教授の矢内原忠雄が『帝国主義下の台湾』などにより政府の植民地支配を批判し、反戦思想として大学を追われた矢内原事件や、1938年(昭和13年)大内兵衛・有沢広巳ら教授グループが人民戦線の結成をはかったとして治安維持法により検挙された人民戦線事件、自由主義経済学者の河合栄治郎が『ファシズム批判』で軍部・政府を批判して著書が発禁となり、休職処分となった河合栄治郎事件、1940年(昭和15年)早稲田大学教授の津田左右吉の『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』が皇室の尊厳を損なうとして発禁処分となるなど学問分野でも政府・軍部による厳しい統制が行われました。
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『日本史用語集』 山川出版社
『詳説日本史』 山川出版社

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