カール戴冠
ピピンの死後、フランク王国は息子二人に継承され2つに分裂しますが、その二人の死後、その息子の
カールによって再びフランク王国が統一されます。
カールは、積極的に遠征を行い、774年宿敵
ロンバルト族を滅ぼし、
ザクセン人や
アヴェール人、
イスラム勢力と戦い、領土を拡大して行きました。
遠征を繰り返した結果、フランク王国は西ヨーロッパの広大な地域を領土としました。
西ヨーロッパの盟主となったフランク王国に対し、ローマ教皇はビザンツ皇帝からの完全な独立を求め、カールの戴冠を試みます。
ときの教皇
レオ3世は、
800年、ローマのサン=ピエトロ寺院において、カールにローマ皇帝の冠をかぶせました。
(カール戴冠)
ここに、西ローマ帝国の権威が復活し、カトリック教会の勢力も拡大しました。
この西ローマ教皇レオ3世は、聖像禁止令を発布したビザンツ皇帝レオン3世とは別人です。注意しましょう。
カールは、国内政策において各地に
巡察使を派遣し、中央集権体制を確立すると同時に、学問も保護し、
カロリング=ルネサンスという学問活動を支援しました。
このカールの戴冠はフランク王国だけでなく、ローマ教会やさまざまな思惑が一致して起きた出来事でした。
同時に、カールの戴冠によって、
ギリシア・ローマ文化と
キリスト文化、ゲルマン文化という三要素が初めて融合し、西ヨーロッパ世界の基礎が形成されたたと言えます。