自由党の衰退
板垣退助によって、フランス流の急進的な政党として結成した
自由党ですが、政府の弾圧を受け解散に追い込まれます。
その背景には、自由党が起こしたいくつもの反政府的な事件がありました。
秋田事件
自由民権運動の中で、一番最初に起こった事件です。
事件の首謀者である柴田浅五郎が、政府庁舎への暴動を企てました。
福島事件
福島県の自由党員や、農民が県の圧政に反抗した事件です。
県会議長
河野広中を中心に自由党員や農民が団結して反対運動を展開しましたが、鎮圧させられてしまいます。
高田事件
新潟で起こった、自由党員の弾圧事件です。
この弾圧で逮捕された自由党員の大半はでっちあげの事件で逮捕されており、その後免罪となり釈放されています。そのような背景から、この事件は
自由民権運動弾圧を図った当局の捏造事件とされています。
この他にも、
群馬事件、
加波山事件、
秩父事件、
飯田事件など自由党が絡んだ事件が1881年から3年の間に多発します。また自由党をよく思わない人間からの捏造事件も多発しました。
これを重く見た政府は自由党を弾圧し、解散させてしまいます。
自由党は知識人だけではなく、農民からの支持も多い政党でした。あまりの急進的な活動のために、周りの世論よりも政党支持者が突っ走ってしまったのでしょう。