日中戦争で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
満州事変
・1927年3月、日本では
金融恐慌が起こり、多数の銀行が倒産した。当時の
若槻内閣は中国に対する不干渉政策をとっていたが、この金融恐慌をきっかけに倒れ、その後対外進出に積極的な
田中内閣が成立した。
・当時中国からの租借地だった関東州と敷設された南満州鉄道の警備のために、
関東軍が派遣されていた。
1931年9月18日、関東軍は南満州鉄道の一部を自ら爆破し、それを張学良のしわざとして軍事行動を起こした。この
柳条湖事件をきっかけに、関東軍は
満州事変を引き起こし、1932年に満州国を成立させた。満州国皇帝には
宣統帝溥儀を即位させ、日本の傀儡国家とした。
・満州事変に関する国際的な調査として、
リットン調査団が派遣された。調査団は日本の侵略行為としながら、中国東北地方における日本の特権を大幅に認めたが、日本政府はこの報告を全面否定し、
1933年に
国際連盟を脱退した。
・1932年5月15日には、
犬養毅首相が青年将校たちに暗殺された
五・一五事件が発生し、これ以降政党内閣が終わり、軍部の発言権が強力となった。1934年には
ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約を破棄し、1936年以降無制限条約時代となった。
毛沢東と中国共産党
・同時期、中国では反軍閥・農民運動で頭角を現した
毛沢東が1921年の共産党誕生に参画した。また、その後中国共産党の軍隊である
紅軍が組織され、1931年に
中華ソヴィエト共和国が誕生した。首都は
瑞金に置かれ、毛沢東が主席となった。
・1934年から1936年にかけて、国民党の圧迫をうけた中国共産党は
長征を行い、
江西省瑞金から、
陝西省延安まで大移動した。この途上の遵義会議で毛沢東の主導権が確立し、共産党は
八一宣言を表明し、内戦停止と日本の侵略に対する民族統一戦線の結成を目指した。以後延安は臨時政府の首都となった。
国民党と第2次国共合作
・1935年、国民政府は
幣制改革を行い、貨幣の統一を目指した。この幣制改革により、国民政府系3銀行の紙幣と英ポンド、米ドルが結び付けられ、蒋介石独裁の強化につながった。一方日本は、1935年に
冀東防共自治政府という傀儡政権を成立させ、日本商品の密輸拠点とし、中国経済に打撃を与えた。
・東北軍閥の張学良は満洲事変後の
1936年に
西安事件を起こし、
蒋介石を監禁した。これにより中国共産党の
周恩来と蒋介石は日本軍の侵略に対する抗日民族統一戦線である第2次国共合作を成立させた。共産党の紅軍は蒋介石の統率下に置かれ、
八路軍に改称された。
日中戦争
・
1936年2月26日、日本陸軍の将校を中心とする1400人が決起し、軍事政権の成立を目指した
二・二六事件が発生した。この事件は4日間で鎮定されたが、その後軍部の政治支配が決定的となり、中国侵略が加速していった。
・
1937年7月7日、北京郊外の
盧溝橋で日中の軍事衝突が発生し、この
盧溝橋事件をきっかけに、
日中戦争が勃発した。日中戦争は初め日本軍が優勢だったが、次第に中国軍の持久戦に苦しめられ、国際的にも孤立していった。1937年12月には、
南京虐殺事件が起こり、日本軍の悪名が世界に広まった。
近衛内閣は
国家総動員法を制定し、日本は東亜新秩序の建設を口実とし戦争を遂行していき、
広州・武漢を占領後日中戦争は1945年まで続く事となった。国民政府は漢口から重慶に遷都し、抗日戦を継続した。一方、蒋介石のライバル
汪兆銘は日本の傀儡政権である南京国民政府を成立させた。
・対外的には、1936年に
日独伊防共協定が結ばれ、枢軸陣営が成立した。また、
1939年には
ノモンハン事件が発生し、満州国西部国境で関東軍とソ連・モンゴル機械化部隊の国境戦争が行われ、日本は完敗した。