蜻蛉日記
五月にもなりぬ
五月にもなりぬ。我がいゑにとまれる人の本(もと)より
「おはしまさずとも、菖蒲(しゃうぶ)ふかではゆゆしからんを、いかがせんずる」
と言ひたり。いで、なにかゆゆしからん、
世中にある我が身かはわびぬれば さらにあやめもしられざりけり
とぞ言ひやらまほしけれど、さるべき人しなければ、心に思ひくらさる。
かくて忌みはてぬれば、例の所にわたりて、ましていとつれづれにてあり。長雨(ながめ)になりたれば、草どもおひこりてあるを、行ひのひまに掘りあかたせなどす。
あさましき人、わが門より例のきらきらしうおひ散らしてわたる日あり。おこなゐしゐたるほどに、
「おはしますおはします」
とののしれば、例のごとぞあらんと思ふに、胸つぶつぶとはしるに、引きすぎぬれば、みな人おもてをまぼりかはしてゐたり。我はまして二時三時まで物もいはれず。人は、
「あなめづらか。いかなる御心ならん」
とて泣くもあり。わづかにためらひて、
「いみじうくやしう人に言ひさまたげられて、今までかかる里住みをして、またかかる目を見つるかな」
とばかり言ひて、胸のこがるることは、いふかぎりにもあらず。