更級日記
世中に、とにかくに心のみつくすに
世中に、とにかくに心のみつくすに、宮仕へとても、もとは、ひとすぢに仕うまつりつかばやいかがあらむ、時々たち出でば、なになるべくもなかめり。年はややさだ過ぎゆくに、若々しきやうなるも、つきなうおぼえならるるうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物詣でなどせしことも、えせずなりたれば、わくらばの立ちいでも絶えて、ながらふべき心地もせぬままに、おさなき人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見をくこともがな、とふしおき思ひなげき、たのむ人の喜びのほどを、心もとなく待ちなげかるるに、秋になりて、まちいでたるやうなれど、思ひしにはあらず、いと本意なくくちをし。親のをりよりたちかへりつつ見しあづま路よりは、ちかきやうにきこゆれば、いかがはせむにて、ほどもなく下るべきことどもいそぐに、門出は、むすめなる人のあたらしくわたりたる所に、八月十余日にす。のちのことは知らず、そのほどのありさまは、ものさはがしきまで人多く、いきほひたり。
廿七日に下るに、をとこなるはそひて下る。紅のうちたるに、萩の襖(あを)、紫苑の織物の指貫着て、太刀はきて、しりにたちて歩み出づるを、それも、織物の青鈍色(あをにびいろ)の指貫、狩衣着て、廊のほどにて馬にのりぬ。ののしりみちて下りぬるのち、こよなうつれづれなれど、いといたう遠きほどならずときけば、さきざきのやうに、心細くなどはおぼえであるに、送りの人々、またの日かへりて、
「いみじうきらきらしうて下りぬ」
などいひて、
「この暁に、いみじくおほきなる人魂のたちて、京ざまへなむ来(き)ぬる」
と語れど、供の人などのこそは、と思ふ。ゆゆしきさまに思ひだによらむやは。