新規登録 ログイン

9_80 その他 / その他

更級日記 原文全集「春秋のさだめ」

著者名: 古典愛好家
Text_level_1
マイリストに追加
更級日記

春秋のさだめ

上達部、殿上人などに対面する人はさだまりたるやうなれば、うゐうゐしき里人は、ありなしをだにしらるべきにもあらぬに、十月ついたちごろの、いと暗き夜、不断経に、声よき人々よむほどなりとて、そなたちかき戸口に、二人ばかりたちいでてききつつ、物語して、よりふしてあるに、まいりたる人のあるを、

「逃げいりて、局なる人々をよびあげなどせむも見ぐるし。さはれ、ただおりからこそ。かくてただ」


といふいま一人のあれば、かたはらにてききゐたるに、おとなしく静やかなるけはひにてものなどいふ、くちをしからざなり。
「いま一人は」


など問ひて、世の常のうちつけのけさうびてなどもいひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかにいひいでて、さすがに、きびしうひきいりがたいふしぶしありて、われも人もこたへなどするを、

「まだしらぬ人のありける」


などめづらしがりて、とみにたつべくもあらぬほど、星のひかりだに見えず暗きに、うちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、

「中々に艶(えむ)にをかしき夜かな。月のくまなくあかからむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」


春秋のことなどいひて、

「時にしたがひ見ることには、春霞おもしろく、空ものどかにかすみ、月のおもてもいとあかうもあらず、とをう、ながるるやうに見えたるに、琵琶の、風香調ゆるるかに弾き鳴らしたる、いといみじくきこゆるに、また秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧りわたりたれど、手にとるばかりさやかにすみわたりたるに、風の音、虫の声、とり集めたる心地するに、箏の琴かき鳴らされたる、ゐやう定のふきすまされたるは、なぞの春とおぼゆかし。また、さかと思へば、冬の夜の、空さへさえわたり、いみじきに、雪のふりつもり、ひかりあひたるに、篳篥(ひちりき)のわななきいでたるは、春秋もみなわすれぬかし」


といひつづけて、

「いづれにか御心とどまる」


と問ふに、秋の夜に心をよせてこたへ給ふを、さのみおなじさまにはいはじとて、

  浅緑花もひとつにかすみつつ おぼろに見ゆる春の夜の月

とこたへたれば、返す返すうち誦じて、

「さは、秋の夜は思しすてつるななりな。

今宵よりのちのいのちのもしもあらば さは春の夜をかたみと思はむ


といふに、秋に心を寄せたる人、

  人はみな春に心をよせつめり われのみや見む秋の夜の月

とあるに、いみじう興じ、思ひわづらひたるけしきにて、

「もろこしなどにも、昔より春秋のさだめはえし侍らざなるを、このかうおぼしわかせ給ひけむ御心ども、おもふに、ゆへ侍らむかし。我が心のなびき、そのをりのあはれともをかしとも思ふことのある時、やがてそのをりの空のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ。春秋をしらせ給ひけむことのふしなむ、いみじううけたまはらまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしにひかれて侍りけるに、またいとさむくなどして、ことに見られざりしを、斎宮の御裳着の勅使にてくだりしに、暁にのぼらむとて、日ごろふりつみたる雪に、月のいとあかきに、旅の空とさへ思へば、心細くおぼゆるに、まかり申しにまいりたれば、よの所にもにず、思ひなしさへけおそろしきに、さべき所に召して、円融院の御世よりまいりたりける人の、いといみじく神さびふるめいたるけはひの、いとよし深く、昔のふる事どもいひいで、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさしいでられたりしは、この世のことともおぼえず、夜のあけなむも惜しう、京のことも思ひたえぬばかりおぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪ふれる夜は、思ひしられて、火桶などをいだきても、かならずいでなむ見られ侍る。おまへたちも、かならずさ思すゆへ侍らむかし。さらば、今宵よりは、くらき闇の夜の、時雨うちせむは、また心にしみ侍りなむかし。斎宮の雪の夜におとるべき心地もせずなむ」


などいひて、わかれにし後は、誰としられじと思ひしを、またの年の八月に、内へいらせ給ふに、夜もすがら殿上にて御あそびありけるに、この人のさぶらひけるもしらず、その夜はしもにあかして、細殿の遺戸をおしあけて見いだしたれば、暁方の月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓(くつ)の声聞えて、読経などする人あり。読経の人は、この遺戸口に立ちとまりて、ものなどいふに、こたへたれば、ふと思ひいでて、

「時雨の夜こそ、かた時忘れず、恋しく侍れ」


といふに、ことながうこたふべきほどならねば、

  なにさまで思ひいでけむなほざりの この葉にかけし時雨ばかりを

ともいひやらぬを、人々また来(き)あへば、やがてすべりいりて、その夜さり、まかでにしかば、もろともなりし人たづねて、返ししたりなども、のちにぞきく。

「『ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音おぼゆるかぎり弾きて聞かせむ』となむある」


ときくに、ゆかしくて、我もさるべきをりを待つに、さらになし。


春ごろ、のどやかなる夕つかた、まいりたなりとききて、その夜もろともなりし人とゐざりいづるに、外に人々まいり、内にも例の人々あれば、出でさいていりぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮をおしはかりてまいりたりけるに、さはがしかりければ、まかづめり。

  かしまみて鳴戸の浦にこがれ出づる 心はえきや磯のあま人

とばかりにて、やみにけり。あの人がらも、いとすくよかに、世のつねならぬ人にて、その人は、かの人はなども、たづねとはですぎぬ。


Tunagari_title
・更級日記 原文全集「春秋のさだめ」

Related_title
もっと見る 

Keyword_title

Reference_title
長谷川 政春,伊藤 博,今西 裕一郎,吉岡 曠 1989年「新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記」岩波書店
森山京 2001年 「21世紀によむ日本の古典4 土佐日記・更級日記」ポプラ社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 25,977 pt 
 役に立った数 7 pt 
 う〜ん数 28 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!