トルコ・イラン世界の展開で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ティムール帝国の興亡
・中央アジアには、
チャガタイ=ハン国があったが、14世紀にイスラーム化した後分裂した。
西チャガタイ=ハン国(1330頃〜1360)は東チャガタイ=ハン国の攻撃や内紛で衰えた。
・西チャガタイ=ハン国の混乱から
ティムールが台頭し、
1370年に
ティムール朝(帝国)を建国した。
ティムール帝国(1370〜1507)は
サマルカンドを都とし、キプチャク=ハン国、西北インドに侵攻した。
・ティムールは
1402年
アンカラの戦いで
オスマン帝国の
バヤジット1世を捕らえ、オスマン帝国を一時中断に追い込んだ。
・ティムール朝は第3代の
シャー=ルフ、第4代の
ウルグ=ベクの時代に最盛期を迎えたが、最終的に
ウズベク人によって滅ぼされた。
オスマン帝国の成立と発展
・
ルーム=セルジューク朝に仕えていた
オスマン=ベイは、
1299年
オスマン帝国を建国した。初期の都は
ブルサに置かれ、1362年に
ムラト1世がビザンツ帝国から
アドリアノープル(エディルネ)を奪うと、ここに都が移された。ムラト1世は
コソヴォの戦いでスラヴ人勢力を破った。
・第4代
バヤジット1世は、1396年の
ニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムント率いるキリスト教連合軍を破ったが、その後1402年の
アンカラの戦いでティムールに捕らえられた。
・第7代
メフメト2世の時代には、
1453年に
コンスタンティノープルを陥落させ
ビザンツ帝国を滅ぼし、新たに
イスタンブールという首都とした。15世紀末には
クリム=ハン国を服属させた。
・第9代
セリム1世の時代には、1514年
サファヴィー朝を破り、1516年
シリアを占領した。1517年には
マムルーク朝を滅ぼし、
メッカ・メディナの支配権を獲得した。セリム1世はマムルーク朝を滅ぼした際、亡命していたアッバース朝のカリフから地位を奪い、
スルタン=カリフ制が成立した。(最近の研究によって見解が異なる。)
・第10代
スレイマン1世は、オスマン帝国の最盛期を現出し、
モハーチの戦い、第1次ウィーン包囲、プレヴェザ海戦など積極的な対外戦争を行った。またフランス王
フランソワ1世と同盟を結び、
カピチュレーションという治外法権を与えた。文化面でも
ミマーリ=シナンが設計した
スレイマン=モスク建設や
バーキーという詩人が活躍した。
・
1571年には、
レパントの海戦が起こり、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊に破れ、オスマン帝国は地中海世界の覇権を失った。
・初期のオスマン帝国軍は
ティマールという徴税権を与えられた
シパーヒーが主力だったが、後にキリスト教徒の子弟や捕虜を徴用する
デウシルメが始められ、
イェニチェリという常備歩兵が主力となった。
・
1683年には
第2次ウィーン包囲が行われたが撃退され、
1699年には
カルロヴィッツ条約が結ばれ、以後ヨーロッパへの影響力は減少した。
・第23代
アフメト3世の治世には、文化爛熟な
チューリップ時代を迎えたが、国力は衰退していった。
サファヴィー朝の盛衰
・15世紀末にイスラームの
神秘主義教団(サファヴィー教団)の指導者となった
イスマーイール1世は、イランを平定し、1501年
タブリーズに
サファヴィー朝を建国した。サファヴィー朝は
シーア派を国教とし、中でも
十二イマーム派がその中心となった。
・第5代
アッバース1世はオスマン帝国と戦い、アゼルバイジャンとイラクの一部を奪い、ポルトガル人を
ホルムズ島から駆逐した。また、都を
イスファハーンに移し、最盛期を現出した。
・サファヴィー朝滅亡後はアフシャール朝ができたが、すぐに
カジャール朝にかわられた。カジャール朝はその後イギリスとロシアの勢力抗争地域となった。
・中央アジアにはウズベク人が建国した
ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国などが成立したが、ロシアに併合された。また
カザフ人もロシアに併合された。