清と諸地域で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
宣教師と典礼問題
・ルターによる
宗教改革が進んでいたヨーロッパでは、
カトリック(旧教)も
対抗宗教改革を行うようになった。
イグナティウス=ロヨラらによって設立された
イエズス会は海外伝道で活躍し、
マテオ=リッチや
フランシスコ=ザビエルら宣教師がアジアでカトリックを伝えた。
・著名な宣教師は、『
坤輿万国全図』『
幾何原本』を作成し、
徐光啓と協力関係にあった
マテオ=リッチ(利瑪竇)、『
崇禎暦書』を作成した
アダム=シャール(湯若望)、
フェルビースト(南懐仁)、『
皇輿全覧図』『
康煕帝伝』を著した
ブーヴェ(白進)、『皇輿全覧図』の作成に関わった
レジス(雷孝思)、西洋画法を紹介し
円明園の設計に関わった
カスティリオーネ(郎世寧)などである。
・この時代、中国での布教方法をめぐって
典礼問題が起こっていた。1704年ローマ教皇クレメンス11世が典礼の参加を禁止したため、
康煕帝が典礼否認派の入国を禁止し、
雍正帝が
1724年にキリスト教の伝道を全面的に禁止した。
・こうした中国との関わりの中で、17世紀に中国を研究する
シナ学がはじまり、フランスで盛んになった。
清と東南アジア
・ビルマでは、
パガン朝(1044~1287)、トゥングー朝(1531~1752)、コンバウン朝(アラウンパヤー朝1752~1885)などが栄えた。
・タイでは、
スコータイ朝(1257~15世紀)、アユタヤ朝(1351~1767)、ラタナコーシン朝(チャクリ朝1782~1932年立憲王国)が栄えた。
・カンボジアやラオスにも王国があったが、ベトナムでは
チャンパー(林邑・環王・占城)、大越国(李朝・陳朝・黎朝・莫朝・西山朝・阮朝)などが栄えた。
・その他にも、マレー半島の
ジョホール、ジャワ東部の
クィディリ朝、スマトラ北部の
アチェ王国、ジャワ東部の
シンガサリ朝、ジャワ東部の
マジャパヒト王国、
マタラム王国、ジャワ西武の
バンテン王国、マレー半島南西部の
マラッカ王国など各地で港市国家が栄えた。
清と東アジア
・東アジアでは
李成桂が建国した
李氏朝鮮が有力となった。李氏朝鮮は
ソウル(漢城)を首都とし、
朱子学・科挙・科田法・銅活字・訓民正音(ハングル)・『経国大典』などが作られた。第3代太祖の時代に官制整備、田制改革、学問奨励が、第4代世宗の時代に、訓民正音の制定や領土拡大が果たされた。高麗や朝鮮王朝時代には封建特権階層の
両班が大土地所有者となり、政治・経済の中心となった。
・1592年から1598年まで、日本の
豊臣秀吉が侵略戦争を行い、
壬辰・丁酉の倭乱(日本側では文禄・慶長の役)と呼ばれた。これに対し、
李舜臣率いる亀甲船が活躍し、救国の英雄となった。
・チベットでは、都ラサを中心に
チベット仏教が活発となった。はじめ
紅帽派が主流だったが、
ツォンカパが
黄帽派を開くと、それが主流となった。最高権力者は
ダライ=ラマと呼ばれ、高僧
パスパなども活躍した。
・沖縄地方では、琉球王国が栄え、
尚巴志が即位したのち
中山王と呼ばれるようになった。琉球は日本の
島津氏に敗れた後日本に納税し、中国に朝貢する
両属体制をとった。
・日本では、
鎌倉幕府・室町幕府・徳川幕府へと幕府が移り変わる中、宣教師の来航とキリスト教の布教が始まったが、その後
鎖国体制が取られた。