三月ばかり
三月ばかり物忌(ものいみ)しにとて、かりそめなる所に、人の家に行きたれば、木どもなどのはかばかしからぬ中に、柳といひて、例のやうになまめかしはあらず、ひろく見えてにくげなるを、あらぬものなめりといへど、かかるもありなどいふに、
さかしらに柳のまゆのひろごりて はるのおもてをふする宿かな
とこそ見ゆれ。
そのころ、またおなじ物忌しに、さやうの所に出でくるに、二日といふ日の昼つかた、いとつれづれまさりて、ただ今もまゐりぬべき心地するほどしも、仰せごとのあれば、いとうれしくて見る。浅緑の紙に、宰相の君、いとをかしげに書い給へり。
いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ くらしわづらふ昨日今日かな
となむ。私には、
「今日しも千年の心地するに、あかつきにはとく」
とあり。この君ののたまひたらむだにをかしかべきに、まして仰せごとのさまはおろかならぬ心地すれば、
雲の上もくらしかねける春の日を所がらともながめつるかな
私には、
「今宵のほども少将にやなり侍らむとすらむ」
とて、暁にまゐりたれば、
「昨日の返し、『かねける』いとにくし。いみじうそしりき」
と仰せらる、いとわびしう、まことにさることなり。