はじめに
前回イギリス国教会の成立と宗教改革の一連の流れを見てきましたが、今回はローマ=カトリックが宗教改革に対してどのような対抗活動を行ったか見ていきましょう。
トリエント公会議の開催
ヨーロッパの様々な地域の教会がローマ=カトリックの支配から独立していく中、カトリック勢力内でも、自己改革の流れが起きます。
この運動をプロテスタントによる宗教改革と対比して、
反宗教改革(対抗・反動宗教改革)といいます。
1545年から1563年には、
トリエント公会議が始まり、
教皇至上権と
カトリック教義の再確認が行われました。また、宗教改革の火蓋を切った
贖宥状の販売を禁止します。
(トリエント公会議)
会議を支援したのがスペイン国王
カルロス1世(またの名を神聖ローマ帝国皇帝カール5世)と時のローマ教皇
パウルス3世でした。パウルス3世はイギリスの
ヘンリ8世を破門した教皇でもあります。
(ローマ教皇パウルス3世)
この会議後、カトリックは非カトリック教徒に対し闘争を行うようになります。