神聖ローマ帝国とは
神聖ローマ帝国は、中世ヨーロッパでドイツ地方にあった国家です。
962年に、東フランク王国の大諸侯ザクセン家から、
オットー1世という国王がでて、その後ローマ教皇
ヨハネス12世から帝冠を授かったことで成立しました。
神聖ローマ帝国では、選挙によって皇帝が選出され、中世ヨーロッパ最大の封建国家となります。11世紀の最盛期以降衰退し、17世紀に締結された
ウェストファリア条約で事実上解体されますが、名前だけは
1806年まで存続しました。
■神聖ローマ帝国の主要年表
年号 | 主要な出来事 |
962年 | オットー1世戴冠→神聖ローマ帝国の成立 |
11世紀後半 | 叙任権闘争 |
1077年 | カノッサの屈辱 |
1256年 | 大空位時代(~1273) |
1356年 | 金印勅書の発布 |
1415年 | コンスタンツ公会議→フスの処刑 |
15世紀 | グーテンベルクが活版印刷術を発明 |
1517年 | ルターが九十五ヵ条の論題を発表 |
1524年 | ドイツ農民戦争(~1525) |
1546年 | シュマルカルデン戦争(~1547) |
1555年 | アウグスブルクの宗教和議 |
1618年 | 三十年戦争(~1648) |
1648年 | ウェストファリア条約→事実上解体 |
1740年 | オーストリア継承戦争(~1748) |
1756年 | 七年戦争(~1763) |
1805年 | アウステルリッツの戦い(対ナポレオン) |
1806年 | ライン同盟の結成→神聖ローマ帝国の消滅 |
オットー1世(在位962~973)
・
ザクセン家出身の初代神聖ローマ皇帝です。
・
レヒフェルトの戦いでマジャールを討ち、その後スラブ、ベーメン、イタリアを制圧します。
・962年、ローマ教皇
ヨハネス12世から帝冠を受け、神聖ローマ帝国が誕生しました。
ハインリヒ4世(在位1056~1106)
・聖職者の叙任権をめぐって、ローマ教皇と対立します。
・教皇
グレゴリウス7世と争い、その後破門されてしまいます。
・その後、雪中で長時間にわたって教皇の許しを求めました。(
カノッサの屈辱(1077年))
カール4世(在位1347~1378)
・
大空位時代ののち、神聖ローマ皇帝に即位します。
・1356年、皇帝選出権を7人の選帝侯に認める
金印勅書を発布し、その後領邦の力が増したため皇帝権力が弱体化、ドイツの分裂が決定的になります。
・東欧最古の
プラハ大学を創設しました。
ジギスムント(在位1411~1437)
・神聖ローマ帝国皇帝以外に、ハンガリーやボヘミアの王も兼ねました。
・
ニコポリスの戦いで、オスマン帝国に敗れます。
・1414年、
コンスタンツ公会議を招集し、初期の宗教改革者だった
ウィクリフと
フスを異端に認定し、フスを処刑します。この会議の結果
教会大分裂が解消されますが、ベーメンで
フス戦争が起こりました。
カール5世(在位1519~1556)
・神聖ローマ皇帝としては
カール5世、スペイン王としては
カルロス1世として両国を統治しました。
・
フッガー家の後援の受け皇帝に選出され、フランス王
フランソワ1世と
イタリア戦争で戦いました。
・1517年、宗教改革者
マルティン=ルターが
95ヶ条の論題を発表し、宗教改革がはじまります。
・1521年、
ヴォルムス帝国議会を招集し、ルター派を禁止したため、ルター支持派の諸侯が現れ、国内分裂がおこります。
・1529年、オスマン帝国の
スレイマン1世によりウィーンが包囲されました。
・1555年、
アウグスブルクの宗教和議でルター派を容認しました。
フェルディナント2世(在位1619~1637)
・新教徒を弾圧したため、1618年ベーメンで大規模な反乱が発生します。
・ベーメン反乱がきっかけとなり、ドイツの宗教戦争である
三十年戦争(1618~1648)がおこります。
・三十年戦争ののち、
ウェストファリア条約が締結され、神聖ローマ帝国は300以上の領邦に分割され、
事実上解体しました。その後も名目的には、1806年まで残ります。
マリア=テレジア(オーストリア女帝:在位1740~1780)
・女帝として即位しようとした際、それに反対したバイエルン公らがきっかけとなり、
オーストリア継承戦争や
七年戦争が起こりました。
・戦争の結果、工業地帯の
シュレジエンを
プロイセンに奪われます。
・プロイセンに対抗するため、長年の敵だったフランスと手を結びました(
外交革命)。
ヨーゼフ2世(1765~1790)
・マリア=テレジアの長男で、
農奴解放令や
宗教寛容令を発布し、
啓蒙絶対君主といわれます。
フランツ2世(在位1792~1806)
・最後の神聖ローマ皇帝です。
・オーストリア皇帝としては
フランツ1世です。
・
アウステルリッツの戦いでナポレオンに敗れ、その後西南ドイツ16邦を中心にライン同盟が結成され、フランツ2世が退位し、1806年神聖ローマ帝国は消滅しました。