オアシスの道
オアシスの道とは、中国の洛陽や長安から、東西トルキスタン・イラン高原北部・メソポタミア・地中海東岸を結んでいた東西交通の主要ルートのことです。
古くは、
アケメネス朝ペルシアによる駅伝制の整備や、アレクサンドロスの
東方遠征等によって徐々に東に伸びていき、中国からも
前漢の武帝の時代に西域として整備されました。
この道は、中国の絹製品が、遠くの西方に運ばれた経緯から
シルクロードとも呼ばれています。これはドイツの地理学者
リヒトホーフェンによって名付けられました。
オアシス都市
周りを砂漠に囲まれた乾燥地帯でも、突如水が湧き出、草木が生えている場所があります。これをオアシスと言いますが、このオアシスの水源を利用して、農業や交易の中継地として栄えたのがオアシス都市です。
オアシス都市は、タリム盆地やアム川・シル川周辺に成立していたものが多く、中には都市国家として独立した政治を行なっていた地域もありました。
代表的なオアシス都市として、東方から敦煌・トルファン・カラシャール・クチャ・ホータン・カシュガル・タラスなどがあります。
都市国家は隊商貿易の中継地として重要な場所として栄え、東西の文化・宗教・芸術・学問・製紙法などの橋渡しをしました。
その結果、東西の文化が相互に行き交うオアシス都市国家の存在は、さまざまな地域の新しい文化や社会の創出に大きな影響を与えました。