『春望』の書き下し文と現代語訳
ここでは、中国の詩人
杜甫が詠んだ「
春望」の書き下し文と現代語訳をしていきます。
国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心
烽 火 連 三 月
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪
【書き下し文】
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵る
白頭掻けば更に短く
渾(すべ)て簪に 勝へざらんと欲す
【現代語訳】
都が破壊されても山河は残っており、都に春が巡ってきて草や木が生い茂っている。
時代を感じては花をみて涙を流し、別れを恨んでは鳥の鳴き声を聞いていても心が痛む。
戦乱が3ヶ月続いている中で、家族からの手紙は大金と同じぐらい貴重だ。
頭の白髪は頭を掻くたびに短くなって、冠をとめておくピンさえもつけれなくなろうとしている。
杜甫の人生
杜甫は、盛唐時代の中国の詩人で、字は子美、号は少陵野老と称されています。彼は712年に河南省の鞏県で生まれ、家系は代々地方官を務めたものであり、三国時代の武将杜預の末裔でした。幼少期から詩文の才能を発揮し、洛陽や長安などの都市で文人たちと交流を深めました。しかし、科挙に合格することはできず、官職に就く機会も得られませんでした。755年に安禄山の乱が勃発し、長安が陥落すると、杜甫は一時的に捕虜となりました。その後、成都や蜀などをさまよい歩き、貧困や戦乱の中でも詩作を続けました。770年に四川省の酉陽で病死しました。
杜甫は、律詩の表現において優れた詩人として知られています。律詩は、一句が五字または七字で構成され、八句から成る詩の形式であり、平仄や押韻などの規則が存在します。杜甫はこの厳格な形式の中で、自身の感情や思想を自由に表現しました。彼の詩には、社会や政治への批判や憂慮、戦争や飢饉の被害者への同情や慰め、自然や風景への観察や感嘆など、さまざまなテーマが含まれています。彼は自らを「詩聖」と称し、後世の詩人たちにも大きな影響を与えました。