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『四庫全書』とは わかりやすい世界史用語2456

著者名: ピアソラ
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『四庫全書』とは

四庫全書は、清王朝の乾隆帝の勅命によって編纂された、中国史上最大規模の叢書です。 1772年に編纂が開始され、約10年の歳月をかけて1782年に完成しました。 その目的は、中国の三千年にわたる政治、経済、哲学、古典、医学、科学技術、歴史、地理、文学、芸術、数学、天文学など、あらゆる分野の知識を集約することにありました。 この壮大な事業は、当時の中国の学術文化の頂点を示すものであり、後世に計り知れない影響を与えることになります。



編纂の背景と動機

四庫全書の編纂を命じた乾隆帝は、清王朝の最盛期を築いた皇帝として知られています。 彼は自身の治世の安定と繁栄を背景に、大規模な文化事業を推進しました。 四庫全書の編纂は、単なる学術的な目的だけでなく、いくつかの重要な動機が絡み合っていました。
一つには、先行する明王朝が編纂した『永楽大典』を超える規模の叢書を作ることで、清王朝の文化的権威を内外に示そうとする意図がありました。 永楽大典は当時、世界最大の百科事典とされていましたが、四庫全書は収録文字数においてこれを凌駕しました。 満州族出身の皇帝として、乾隆帝は漢民族の文化を継承し、さらに発展させることで、自身の正統な統治者としての地位を確立しようと考えたのです。
また、この事業には政治的な側面も色濃く反映されていました。編纂の過程で、清王朝の支配に批判的、あるいは反満州的な思想を持つと見なされた書籍は徹底的に排除、または改竄されました。 これは「文字の獄」として知られる思想統制の一環であり、乾隆帝は文化事業を通じて、支配体制に不都合な言論を封じ込め、帝国の思想的統一を図ろうとしたのです。
書籍の収集

編纂事業は、全国各地からの書籍収集から始まりました。 1772年、乾隆帝は勅令を出し、地方官吏に重要な書籍の捜索と収集を命じるとともに、希少価値の高い書物を所有する個人に対しても、都へ献上するよう奨励しました。 当初、多くの人々は、過去の思想弾圧の経験から、書物を提出することにためらいを感じていました。 これに対し乾隆帝は、編纂が完了すれば書物は所有者に返却し、たとえ反清的な内容が含まれていても処罰はしないという布告を改めて出しました。 この布告から3ヶ月も経たないうちに、4千から5千点の書物が集まったとされています。
収集された書籍は、個人の蔵書家や宮廷の図書館から集められたものだけでなく、明代の貴重な叢書である『永楽大典』の一部も利用されました。 これらの膨大な書籍は北京に新設された「四庫全書館」に集められ、専門の学者たちによって審査、選別、そして編纂作業が進められました。
編纂体制と作業工程

四庫全書の編纂は、国家的な一大プロジェクトとして、極めて組織的に進められました。 1773年3月までに、北京には数百人に及ぶ編集者、校訂者、筆写者からなる編集委員会が設置されました。
編纂者たち

この事業には、当時の最も優れた学者たちが動員されました。 総裁官には于敏中、彭元瑞、朱珪といった高官が名を連ね、総纂官(首席編集官)は、大学者として名高い紀昀と陸錫熊が務めました。 編集委員会には361人以上の学者が参加し、戴震、邵晋涵、周永年、翁方綱、姚鼐といった著名な学者も編纂に携わっています。 彼らはそれぞれの専門知識を活かし、膨大な文献の整理と解釈にあたりました。
筆写と製本

四庫全書は印刷ではなく、すべて手書きで作成されました。 約3,826人もの筆写者が、一字一句を丁寧に書き写す作業に従事しました。 彼らには金銭的な報酬は支払われず、代わりに一定量の写本を完成させると、官職が与えられたといいます。 このようにして、10年という長い年月をかけて、7部の完全な写本が制作されました。
完成した叢書は、36,381巻、79,000章以上で構成され、総ページ数は約230万ページ、総文字数は約8億から9億9700万字に達するとされています。 これは、中国の歴史上、前例のない規模の出版事業でした。
四庫全書の内容と構成

四庫全書という名称は、その内容が「経」「史」「子」「集」という四つの部門(庫)に分類されていることに由来します。 この四部分類法は、漢代から続く中国の伝統的な図書分類法を基礎としていますが、四庫全書の編纂者たちは、これをさらに洗練させ、44の類と66の亜類を設けるなど、より詳細な分類体系を構築しました。
四つの部門

経部: 儒教の経典とその注釈書が収められています。 儒教思想の根幹をなす文献群であり、四庫全書の中でも最も重要な部門と位置づけられています。
史部: 正史、編年史、紀伝体など、様々な形式の歴史書が含まれます。 中国の悠久の歴史を記録するこれらの書物は、王朝の正統性や歴史観を反映しています。
子部: 諸子百家と呼ばれる古代の思想家たちの著作や、哲学、宗教、科学技術、芸術、医学に関する専門書が分類されています。
集部: 個人の文集や詩集、詞、戯曲といった文学作品が収められています。
この分類体系は、単なる整理のための枠組みではなく、知識を体系化し、秩序づけるという編纂者たちの知的な意図を反映したものでした。
収録された文献

四庫全書には、先秦時代から清朝初期に至るまでの、約二千年間にわたる主要な著作が網羅されています。 収録された文献は3,461点にのぼります。 中国の著者による作品だけでなく、異なる民族や女性、さらにはイエズス会宣教師など外国人による漢文の著作も含まれており、その包括性が特徴です。
目録の編纂:『四庫全書総目提要』

四庫全書の編纂と並行して、その巨大な内容を案内するための詳細な解題目録が作成されました。 これが『四庫全書総目提要』です。 1782年に完成し、1793年に刊行されました。
この目録は全200巻からなり、四庫全書に収録された3,461点の全著作について、書誌情報や内容の要約、学術的な評価などを記した解題を付しています。 さらに、四庫全書本体には収録されなかったものの、存在が確認された6,793点の書籍についても、「存目」としてタイトルと簡単な注記が記載されています。 これにより、『総目提要』は合計10,254点もの書籍に関する情報を含む、中国史上最大の書物目録となりました。
各部門や分類の冒頭には序文が置かれ、編纂の方針や学術的な見解が示されています。 乾隆帝自身の見解も、勅令や直接的なコメントという形で反映されており、収録基準に影響を与えました。 『総目提要』は、単なる図書目録にとどまらず、清代の学術水準や思想を示す重要な文献とされています。 また、利用者の便を考えて、20巻に要約された『四庫全書簡明目録』も作成されました。
思想統制の側面:禁書と検閲

四庫全書の編纂事業は、文化の保存という輝かしい側面を持つ一方で、厳しい思想統制という暗い影を落としています。 乾隆帝は、書籍収集の過程で、清王朝の支配や満州族に対して批判的な内容を含む書物を徹底的に検閲しました。
焚書と文字の獄

編纂に際して、約3,000点の書籍が反満州的であると判断され、収録から除外されるだけでなく、多くが焼却処分されました。 これらの禁書は『四庫禁書』という目録にまとめられました。 禁止された書籍の多くは、明朝末期に書かれたもので、満州族に対する直接的、あるいは間接的な政治的攻撃を含むものでした。
乾隆帝は、書籍を提出すれば処罰しないと約束していましたが、その約束は守られませんでした。 禁書の所有者は投獄、追放、あるいは処刑されることもあり、この一連の弾圧は「文字の獄」と呼ばれ、多くの学者を恐怖に陥れました。 このように、四庫全書プロジェクトは、中国に残る明朝への忠誠心を根絶やしにするための手段としても機能したのです。 この事業は、知識の集積と同時に、知識の選択と排除、そして支配体制に都合の良い文化の構築という、二つの側面を併せ持っていたと言えます。
七つの書庫:写本の配布と保管

完成した四庫全書は、7部の写本が作成され、帝国各地に建設された専用の書庫に収められました。 これらの書庫は、火災対策などを考慮して特別に設計されました。
北四閣と南三閣

最初の4部は皇帝自身のために作られ、北京の紫禁城内の文淵閣、円明園の文源閣、奉天(現在の瀋陽)の文溯閣、そして承徳の避暑山荘にある文津閣という、北方の4つの宮殿図書館に納められました。 これらは「北四閣」または「内廷四閣」と呼ばれます。
残りの3部は、一般の学者の利用に供するため、南方の杭州の文瀾閣、鎮江の文宗閣、揚州の文匯閣にそれぞれ収蔵されました。 これらは「江南三閣」として知られています。 これらの書庫の設計は、明代で最も有名だった私設図書館である寧波の天一閣をモデルにしたと言われています。
写本の運命

しかし、これら7部の貴重な写本は、その後の動乱の時代に多くが失われることになります。
円明園の文源閣本は、1860年の第二次アヘン戦争の際に、イギリス・フランス連合軍によって円明園が焼き払われた際に焼失しました。
鎮江の文宗閣本と揚州の文匯閣本は、19世紀半ばの太平天国の乱で完全に破壊されました。
杭州の文瀾閣本も太平天国の乱で甚大な被害を受けましたが、丁申・丁丙兄弟らの努力によって一部が再収集され、後に修復されました。
残りの4部のうち、文淵閣本は現在、台北の国立故宮博物院に所蔵されています。
文津閣本は、北京の中国国家図書館にあります。
文溯閣本は、甘粛省図書館(蘭州)に移管されました。
そして、一部が失われた文瀾閣本は、浙江省図書館(杭州)に保管されています。
このように、度重なる戦乱や災害により、7部作られた写本のうち、完全に現存するのは3部半のみとなっています。
後世への影響と遺産

四庫全書は、その編纂過程における思想統制という負の側面にもかかわらず、中国の学術と文化に巨大な遺産を残しました。
学術的価値

この事業によって、それまで散逸し、失われる可能性のあった数多くの貴重な文献が収集・整理され、後世に伝えられることになりました。 特に、明代の『永楽大典』から復元された書籍も多く含まれており、文化財の保存という点でその功績は計り知れません。
また、『四庫全書総目提要』は、中国の古典籍研究における最も基本的かつ重要な参考文献として、今日でも高く評価されています。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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