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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化

キルワとは わかりやすい世界史用語1510

著者名: ピアソラ
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キルワとは

キルワ島は、タンザニアのインド洋沿岸に位置する歴史的な島で、スワヒリ文化の重要な中心地とされています。

キルワ島の起源と初期の歴史

キルワ島の歴史は10世紀にさかのぼります。この時期、ペルシアのシーラーズから移住してきた人々が島に定住し、貿易の拠点として発展しました。伝説によると、975年頃にペルシアの王子アリ・イブン・アル=ハサンが島に到着し、キルワ王国を設立したと言われています。



繁栄と黄金時代

13世紀から15世紀にかけて、キルワ島はインド洋交易の中心地として大いに栄えました。特に、アフリカ内陸部からの金の交易において重要な役割を果たし、キルワはソファラ(現在のモザンビーク)を支配し、金の輸出を独占しました。この時代、モスクや宮殿などの壮大な建物が建設され、スワヒリ文化の中心として栄えました。

イブン・バットゥータの訪問

1331年、著名な旅行家イブン・バットゥータがキルワ島を訪れ、その美しさと繁栄を記録しました。彼はキルワを「最も美しい町の一つ」と称賛し、島の繁栄を詳細に描写しています。

ポルトガルの侵略と衰退

16世紀初頭、ポルトガルが東アフリカ沿岸に進出し、キルワ島もその影響を受けました。1505年には、ポルトガルの探検家フランシスコ・デ・アルメイダがキルワを占領し、島の支配権を握りました。この侵略によって、キルワの繁栄は急速に衰退しました。

オマーンの支配と奴隷貿易

17世紀に入ると、オマーン王国がポルトガルを排除し、キルワ島を支配しました。この時期、キルワは奴隷貿易の重要な拠点となり、一時的に繁栄を取り戻しました。しかし、19世紀に奴隷貿易が衰退すると、キルワの重要性も再び低下しました。

考古学的発見と現代

20世紀に入ると、キルワ島での大規模な考古学的調査が行われ、多くの遺物が発見されました。これにより、キルワの歴史と文化が再評価されるようになりました。現在、キルワ島はユネスコの世界遺産として登録され、その歴史的な価値が認められています。

キルワ島の歴史は、スワヒリ文化の発展やインド洋交易の重要性を物語っており、アフリカの歴史において重要な位置を占めています。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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