ザンジバルとは
ザンジバル島は、アフリカの東海岸に位置するインド洋の島で、現在はタンザニア連合共和国の一部となっています。その歴史は古代から現代にかけて多くの変化を遂げてきました。
古代と中世のザンジバル
ザンジバルの歴史は、紀元前1世紀から2世紀の間にギリシャ人によって書かれた『エリュトゥラー海案内記』に始まります。この文献には、東アフリカ沿岸で象牙や犀角の交易が行われていたことが記されています。
8世紀から10世紀にかけて、ペルシア湾やアラビア半島からイスラーム商人が東アフリカ沿岸に移住し、スワヒリ文明が形成されました。ザンジバルもその一部として発展し、11世紀から13世紀にかけてイスラーム文化が広まりました。
ポルトガルとオマーンの支配
16世紀には、ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れ、その後、ポルトガルの支配下に入りました。しかし、1698年にオマーンの支配が始まり、ザンジバルは象牙と奴隷貿易の中心地として栄えました。
19世紀初頭、オマーンのスルターンであるサイイド・サイードがザンジバルにストーン・タウンという王宮を建設し、オマーン帝国の中心地となりました。この時期、ザンジバルはインド洋西部の覇権を巡ってイギリスと対立しました。
イギリスの保護領と独立
19世紀末、ヨーロッパの列強によるアフリカ分割の結果、ザンジバルはイギリスの保護領となりました。1896年には、イギリスとザンジバル間で「史上最も短い戦争」として知られる戦争が勃発し、わずか37分でイギリスが勝利を収めました。
1963年12月10日、ザンジバルはイギリスから独立し、ザンジバル王国が成立しました。しかし、翌年の1月12日にはザンジバル革命が起こり、アラブ系スルターンの支配が終わりました。
タンザニア連合共和国の一部として
ザンジバル革命の後、ザンジバルは大陸部のタンガニーカと合併し、1964年4月にタンザニア連合共和国が成立しました。その後、ザンジバルは強い自治権を持つザンジバル革命政府によって統治されています。