非キリスト教徒の記述:
タキトゥス (Tacitus): ローマの歴史家。西暦116年頃の『年代記』(Annals) で、ネロ帝によるキリスト教徒迫害に触れ、「キリストゥス」(Christus)という人物がティベリウス帝の治世に総督ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されたこと、その運動(迷信と彼は呼ぶ)がユダヤで始まりローマにも広がったことを記しています。これはイエスの歴史的存在と処刑に関する重要な外部証拠とされています。
フラウィウス・ヨセフス (Flavius Josephus): ユダヤ人の歴史家。西暦93-94年頃の『ユダヤ古代誌』(Jewish Antiquities) に、イエスに関する記述が二箇所あります。一つは「テスティモニウム・フラウィアヌム」(Testimonium Flavianum) と呼ばれる箇所で、イエスを賢者、奇跡を行う者、多くのユダヤ人やギリシア人を魅了した人物、メシア(キリスト)と呼び、ピラトゥスによって十字架刑に処せられたが三日目に復活し、キリスト教徒と呼ばれる集団が今も存在すると記しています。ただし、この記述には後代のキリスト教徒による加筆が含まれている可能性が高いと多くの学者に考えられています。もう一箇所は、イエスの兄弟とされるヤコブの処刑について述べている部分で、ヤコブを「キリストと呼ばれたイエスの兄弟」として言及しており、こちらは加筆の可能性が低いと見なされ、イエスの存在と彼に兄弟がいたことの間接的な証拠とされています。
小プリニウス (Pliny the Younger): ローマ帝国のビテュニア属州(現在のトルコ北部)総督。西暦112年頃、皇帝トラヤヌスに宛てた書簡で、キリスト教徒への対応について相談しています。その中で、キリスト教徒が「キリストに神であるかのように賛歌を歌う」ことや、特定の日に集会を開く習慣があったことなどを報告しています。これは初期キリスト教徒の礼拝実践に関する情報を提供します。
これらの史料は、イエスの生涯の出来事や教えについて、程度の差こそあれ情報を提供しますが、特に福音書は信仰的な目的で書かれているため、歴史的な分析には慎重な解釈が必要です。
誕生と幼少期
イエスの誕生に関する記述は、主にマタイによる福音書とルカによる福音書に見られますが、両者の記述には相違点もあります。
マリアへの受胎告知 (Annunciation): ルカ福音書は、天使ガブリエルがナザレの処女マリアのもとに現れ、彼女が聖霊によって身ごもり、男の子を産むこと、その子をイエスと名付けることを告げたと記しています。イエスは「いと高き方の子」と呼ばれ、その王国は終わることがない、とされます。マリアがヨセフと婚約中であったこと、ヨセフはダビデの家系であったことも記されています。
ヨセフへの告知: マタイ福音書は、マリアの妊娠を知ってひそかに離縁しようと考えていた義人ヨセフのもとに、天使が夢で現れ、マリアの妊娠は聖霊によるものであり、生まれる子は「その民を罪から救う」のでイエス(ヘブライ語で「ヤハウェは救い」を意味するヨシュアに由来)と名付けるよう告げたと記しています。これは旧約聖書の預言(イザヤ書7:14「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ばれる」)の成就であると解釈されています。
ベツレヘムでの誕生: マタイとルカの両福音書は、イエスがユダヤのベツレヘムで生まれたとしています。これは、旧約聖書でメシアがダビデの町ベツレヘムから出ると預言されていたこと(ミカ書5:2)と関連付けられています。
ルカ福音書は、ローマ皇帝アウグストゥスによる住民登録令のため、ダビデの家系であったヨセフが婚約者マリアと共に、故郷であるガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへ赴いた際に、イエスが生まれたと説明しています。馬小屋(または洞窟)で生まれ、飼い葉桶に寝かされたとされています。この住民登録の歴史的正確性については議論があります(全国一斉の登録は、クィリニウスがシリア総督だった西暦6年頃に行われた記録があるが、イエスの誕生は通常それより数年前、ヘロデ大王の存命中(紀元前4年没)とされるため)。
マタイ福音書は、誕生の場所や経緯の詳細は記していませんが、東方の占星術の学者たち(マギ)が、星に導かれて「ユダヤ人の王」として生まれたイエスを拝みに来たことを記しています。
羊飼いたちの礼拝: ルカ福音書は、イエス誕生の夜、野宿していた羊飼いたちのもとに天使が現れ、救い主の誕生を告げ、彼らがベツレヘムに行って幼子イエスを拝んだと記しています。
マギ(東方の三博士)の礼拝: マタイ福音書は、東方から来たマギが、星を頼りにエルサレムのヘロデ大王のもとを訪れ、「ユダヤ人の王」の誕生について尋ねたこと、ヘロデが動揺し、祭司長や律法学者たちにメシアの誕生場所を問い、ベツレヘムであると知らされたことを記しています。マギはベツレヘムでイエスを見つけて礼拝し、黄金、乳香、没薬を捧げました。その後、夢でヘロデのもとに戻らないよう告げられ、別の道を通って故郷へ帰りました。
エジプトへの逃避と幼児虐殺: マタイ福音書によれば、マギに欺かれたと知ったヘロデ大王は激怒し、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子をすべて殺害させました(幼児虐殺)。しかし、ヨセフは事前に天使から夢で警告を受け、マリアと幼子イエスを連れてエジプトへ逃れていました。この幼児虐殺に関する記述はマタイ福音書にしかなく、ヨセフスなどの他の歴史記録には見られないため、その歴史性については議論があります。
ナザレへの帰還: ヘロデ大王の死後(紀元前4年)、ヨセフ一家は天使のお告げに従ってエジプトからイスラエルの地に戻りますが、ヘロデの息子アルケラオスがユダヤを治めていることを知り、ユダヤ地方を避けてガリラヤ地方のナザレに行き、そこに住み着きました。このため、イエスは「ナザレのイエス」と呼ばれるようになります。
幼少期・少年期(「隠された歳月」): イエスの幼少期や少年期に関する記述は非常に限られています。ルカ福音書は、イエスが両親と共にナザレで成長し、「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2:52)と簡潔に述べています。唯一の具体的なエピソードとして、イエスが12歳の時、過越祭のために家族でエルサレム神殿を訪れ、両親とはぐれてしまい、三日後に神殿で学者たちと問答しているところを発見された話が記されています(ルカ2:41-51)。この出来事は、イエスの早い時期からの神に対する意識の高さを示唆するものと解釈されています。それ以外の約18年間(12歳から公生涯を始める約30歳まで)については福音書は沈黙しており、「隠された歳月」(hidden years)と呼ばれています。伝統的には、父ヨセフ(大工であったとされる)の仕事を手伝っていたと考えられています。