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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ローマ帝国

共和制《ローマ》とは わかりやすい世界史用語1051

著者名: ピアソラ
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共和制《ローマ》とは

共和制ローマは、紀元前509年にローマの王政が崩壊してから紀元前27年にローマ帝国が成立するまでの期間を指します。この時代に、ローマは王政から共和政へと移行し、選挙で選ばれた官職者によって統治されるようになりました。伝説によると、最後の王であるタルクィニウス・スペルブスが追放されたことが、共和政の始まりとされています。

政治制度

共和制ローマの政治体制は、元老院と民会を中心に構成されていました。元老院は主に貴族(パトリキ)から成り、国家の重要な決定を下す諮問機関として機能していました。一方、民会は市民全体が参加する議会であり、執政官(コンスル)や護民官(トリブヌス)などの官職者を選出しました。

執政官は毎年2名選ばれ、軍事や行政の最高責任者としての役割を果たしました。護民官は平民(プレブス)の権利を守るために設置され、元老院や執政官の決定に対して拒否権を行使することが許されていました。



社会構造と対立

共和制ローマの社会は、貴族と平民の間で激しい対立が続いていました。貴族は政治的権力を独占し、平民はその権利を求めて闘争を繰り広げました。この対立は、紀元前494年の聖山事件を契機に、平民が護民官を設置することで一部解消されました。

ローマの拡大と戦争

共和制ローマは周辺地域への拡大を続けました。紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけて、ローマはイタリア半島全域を支配下に置きました。特にポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前146年)では、カルタゴとの戦いに勝利し、西地中海の覇権を確立しました。

また、ガリア戦争(紀元前58年 - 紀元前50年)やマケドニア戦争(紀元前214年 - 紀元前148年)を通じて、ローマはヨーロッパや地中海地域全体に勢力を拡大しました。

内乱と帝政の成立

紀元前1世紀には、ローマ内部での権力闘争が激化し、内乱が頻発しました。特に、ガイウス・ユリウス・カエサルの台頭と彼の暗殺、アウグストゥス(オクタウィアヌス)の登場が重要な出来事です。カエサルの死後、アウグストゥスは内乱を収束させ、紀元前27年に初代皇帝として帝政を樹立しました。これにより、ローマは共和政から帝政へと移行し、ローマ帝国が成立しました。

文化と遺産

共和制ローマは、その文化的遺産においても知られています。ローマの建築技術は非常に発展しており、コロッセオやパンテオン、フォルム・ロマヌムなどの壮大な建物がその証です。また、ローマ法は現代の法制度の基礎を成し、ラテン語は多くのヨーロッパ言語の源となりました。さらに、ローマの文学、哲学、芸術は後世に多大な影響を与えました。

共和制ローマは、その起源から帝政の成立に至るまで、多くの歴史的出来事と文化的遺産を有しています。
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・共和制《ローマ》とは わかりやすい世界史用語1051

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『世界史B 用語集』 山川出版社

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