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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ヘレニズム世界

ダレイオス3世とは わかりやすい世界史用語985

著者名: ピアソラ
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ダレイオス3世とは

ダレイオス3世(紀元前380年頃 - 紀元前330年)は、アケメネス朝ペルシアの最後の王であり、アレクサンドロス大王との戦いで知られています。彼の治世は短く、ペルシア帝国の崩壊とともに終わりました。

若年期と即位

ダレイオス3世は、アルサメスとシシュガンビスの息子として生まれました。彼の本名はアルタシャタでした。彼はアケメネス朝の王族の一員でしたが、即位前は比較的無名の存在でした。

紀元前336年、ダレイオス3世は宮廷の陰謀により王位に就きました。前王アルセスが宮廷の宦官バゴアスによって毒殺された後、バゴアスはダレイオスを王位に据えました。しかし、ダレイオスはバゴアスの陰謀を察知し、逆に彼を毒殺してその地位を守りました。



アレクサンドロス大王との戦い

ダレイオス3世の治世は、アレクサンドロス大王のペルシア侵攻と重なります。紀元前334年、アレクサンドロスはペルシア帝国への侵攻を開始し、グラニコス川の戦いで勝利を収めました。続いて、紀元前333年のイッソスの戦いでは、ダレイオス自身が戦場に立ちましたが、敗北を喫しました。この戦いでダレイオスは逃走し、家族もアレクサンドロスに捕らえられました。

アルベラ(ガウガメラ)の戦い
紀元前331年、ダレイオス3世は再びアレクサンドロスと対峙しました。ガウガメラの戦い(アルベラの戦いとも呼ばれる)では、ダレイオスは広大な平原で戦車部隊を活用しようとしましたが、アレクサンドロスの巧みな戦術により再び敗北しました。この戦いの後、ダレイオスは再び逃走し、ペルシア帝国の崩壊が決定的となりました。

最期と遺産

ガウガメラの戦いの後、ダレイオス3世はバクトリアへ逃れましたが、紀元前330年に彼の親族であるベッソスによって捕らえられ、殺害されました。彼の死により、アケメネス朝ペルシアは完全に滅亡し、アレクサンドロス大王がその領土を支配することとなりました。

ダレイオス3世の治世は短く、彼の業績はアレクサンドロスとの戦いに終始しました。しかし、彼の存在はアケメネス朝ペルシアの最後の王として歴史に刻まれています。彼の死後、ペルシア文化とギリシャ文化の融合が進み、ヘレニズム時代の幕開けとなりました。

ダレイオス3世の評価

ダレイオス3世は、しばしば無能な王として描かれますが、彼の治世は非常に困難な時期にありました。彼はアレクサンドロスという卓越した軍事指導者に対抗しなければならず、その結果として敗北を重ねました。
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・ダレイオス3世とは わかりやすい世界史用語985

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『世界史B 用語集』 山川出版社

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