満州事変から国際連盟脱退への流れ
1931年、中国奉天の郊外、
柳条湖(りゅうじょうこ)で満州鉄道が爆破される事件がおきました。
その土地にとどまっていた関東軍は、これを中国軍のしわざだと言って軍事行動に出て満州を占領し、そしてこの土地に
満洲国という新しい国を作りました。
皇帝には清の最後の皇帝
溥儀(ふぎ)を就任させこの国を支配させますが、実際には形だけで、実権は関東軍が握っていました。
この一連の騒動を
満州事変と言います。
本当は爆破事件など起こしていないのに、妙ないいがかりをつけられた清は、満洲国の建設は不当だと国際連盟に訴えます。
この訴えをきいた国際連盟は、リットンを団長とする
リットン調査団を満洲に派遣し、本当に爆破事件は中国が起こしたものだったのかの調査を始めます。
調査結果は、満州鉄道の爆破は関東軍の自作自演であって、満洲国の建設は認められないというものでした。
これに激怒した日本は、
国際連盟の脱退を表明し、国際社会で孤立していくことになります。