新大陸へ渡った人々
17世紀に入り、イギリス国王から特許状を得た会社や個人領主が、北アメリカに本格的な植民地建設を始めます。処女王エリザベス1世にちなんで、1584年には
ヴァージニア植民地が作られました。
ちょうど同じ時期、イギリス国内はスチュアート朝の絶対王政下にありました。
国王は、新教に対して弾圧を行い、信仰の自由を奪われたピューリタンたちは、苦難の時代を迎えていました。
しかし、1620年、信仰の自由を求め、北アメリカの
プリマスという土地に
メイフラワー号という船が到着し、102名の人々が新大陸に降り立ちました。
彼らはピルグリム=ファーザーズと呼ばれ、最初のアメリカ人として伝えられている人々です。
(新大陸に渡った人々)
彼らは、敬虔なピューリタンで、渡米の船上でメイフラワー契約というものを結び、政府や法律の概念を取り入れ、それらを新天地で尊重するという誓いを立てていました。
到着後、彼らは1620年にプリマス植民地、1630年にマサチューセッツ植民地を建設し、ニューイングランドという地域を創り上げます。
この頃植民地は、イギリス王室の特許状によって3つの形態にわかれていました。
1つめは総督や議員が住民によって選ばれる自治植民地。
2つめが特許状を持つ領主が総督を決める領主植民地。
3つめが国王が総督を任命する王領植民地。
これら3種類の植民地が、アメリカ大陸の東海岸に混在していました。
1681年には、ピューリタンの一派のクウェーカー教徒のウィリアム=ペンが、ペンシルヴァニアという植民地します。ついで1732年にジョージア植民地が東海岸最南部に建設され、新大陸に
13のイギリス植民地が成立しました。
これら植民地は、次第に漁業や農業、造船、製造、製鉄など、さまざまな産業によって発展していきます。また、これら産業の発展と共に、労働力が必要になりました。特に、プランテーションという大農場の労働力を補完するため、アフリカから多くの黒人が新大陸に連れて来られ、北アメリカで奴隷制が始まりました。