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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 北方民族の活動と中国の分裂(魏晋南北朝時代)

馬韓とは わかりやすい世界史用語596

著者名: ピアソラ
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馬韓とは

馬韓は、紀元前1世紀から紀元6世紀にかけて、朝鮮半島南部の忠清道と全羅道に存在した緩やかな連合体でした。馬韓は、弁韓および辰韓とともに、三韓の一つとして知られています。

馬韓の起源と歴史

馬韓の起源は、紀元前3世紀から2世紀にかけての青銅器時代の社会にさかのぼります。この時期、北方からの移住者が南方に移動し、馬韓の形成に寄与しました。特に、紀元前194年から180年頃にかけて、箕子朝鮮の王であった準王が、衛満に王位を奪われた後、南方の辰国に逃れたことが記録されています。彼とその追随者たちは、辰国の領土内に拠点を築きました。この北方文化の流入が、馬韓の発展に大きな影響を与えました。

さらに、紀元前108年に衛氏朝鮮が滅亡し、中国の楽浪郡や帯方郡が朝鮮半島に設置された後も、北方からの移住が続きました。これにより、馬韓はさらに多様な文化的影響を受けることとなりました。

馬韓の政治体制

馬韓は、50以上の小国からなる緩やかな連合体であり、それぞれの小国は独自の支配者を持っていました。馬韓の王たちは時折「辰王」と自称し、三韓全体に対する名目上の主権を主張しました。しかし、実際には各小国の統治は分散しており、中央集権的な統治体制は存在しませんでした。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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