氐とは
氐(てい)は、中国の歴史において五胡の一つとして知られる古代の民族です。彼らは主に西部中国に住んでおり、16王朝時代に北中国で権力を握った非漢民族の一つです。氐は、チベット系の起源を持つと考えられています。
起源と歴史
氐の人々は、春秋戦国時代には現在の甘粛省、青海省、四川省、陝西省の地域に住んでいました。彼らは羌(きょう)と文化的に関連していましたが、川の谷で農業を営み、木造の家に住んでいました。氐の一部は、3世紀に巴氐(はてい)として知られる独自の分派を形成しました。巴氐は、四川省から北西中国に移住し、地元の氐と混血した賨(そう)という民族と関連しています。
漢王朝との関係
紀元前111年、漢王朝は地元の氐を打ち破り、武都郡(現在の甘粛省隴南市周辺)を設立しました。一部の氐は青海湖の谷に逃れ、他の者は漢に服従し、中原に分散しました。紀元前108年、氐は漢に対して反乱を起こしましたが、敗北し、漢の武帝は彼らの一部を酒泉郡に移住させました。後漢末期には、氐の酋長である阿貴(あき)や白項氐の楊千萬(ようせんまん)が、曹操に対抗するために馬超と同盟を結びました。
16王朝時代とその後
氐は、4世紀から5世紀初頭にかけて、五胡の一つでした。この時代、氐は前秦(351年-394年)と後涼(386年-403年)の国家を支配し、巴氐は成漢(304年-347年)を支配しました。また、仇池(296年-580年)も氐が支配する国家であり、16王朝と南北朝時代の両方にまたがって存在しました。
文化と言語
氐の文化は、彼らが住んでいた地域の他の民族と密接に関連していました。彼らは農業を営み、木造の家に住んでいました。
氐は、中国の歴史において重要な役割を果たした民族であり、特に五胡十六国時代においては、北中国での権力闘争において重要な民族でした