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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 北方民族の活動と中国の分裂(魏晋南北朝時代)

六朝とは わかりやすい世界史用語554

著者名: ピアソラ
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六朝とは

六朝(220年~589年)は、中国の歴史において非常に重要な時期です。この時期は、漢王朝の終焉から隋王朝の成立までの間に存在した六つの王朝を指します。六朝時代は、政治的な混乱と文化的な発展が同時に進行した時期であり、中国の南北分裂時代とも重なります。

六朝の王朝

六朝時代に存在した六つの王朝は以下の通りです:

呉(222年~280年):孫権が建国し、江南地域を支配しました。呉は、三国時代の一つとして知られています。
東晋(317年~420年):西晋の滅亡後、司馬睿が南方に逃れ、建康(現在の南京)に都を置きました。
宋(420年~479年):劉裕が東晋を滅ぼし、宋を建国しました。劉宋は、南朝の最初の王朝です。
斉(479年~502年):劉宋の後を継ぎ、蕭道成が建国しました。
梁(502年~557年):蕭衍が南斉を滅ぼし、梁を建国しました。梁は文化的に非常に豊かな時期でした。
陳(557年~589年):陳霸先が梁を滅ぼし、陳を建国しました。陳は、隋によって滅ぼされるまで続きました。

文化と宗教の発展

六朝時代は、文化と宗教の発展が顕著な時期でもありました。特に、詩歌や文学が大いに栄えました。六朝時代の詩は、愛や美を率直に描写することで知られています。代表的な詩集としては、梁の皇太子であった蕭綱の庇護の下で編纂された『玉台新詠』があります。

また、この時期には仏教が大いに広まりました。仏教は、漢の時代にシルクロードを通じて中国に伝来しましたが、六朝時代に入ってから本格的に広まりました。仏教の経典の翻訳が進み、仏教寺院が各地に建設されました。道教もまた、この時期に大いに発展しました。道教は、少数の宗教から大衆宗教へと成長し、社会に深く根付くようになりました。



経済と技術の進歩

六朝時代は、経済と技術の進歩も見られました。特に南方の経済発展が顕著であり、南方は次第に中国の経済中心地となっていきました。この時期には、車輪付きの手押し車や凧の発明、石炭の燃料としての利用など、多くの技術革新が行われました。

政治的な混乱と社会の変化

六朝時代は、政治的な混乱が続いた時期でもあります。北方では、中央アジアからの侵略者によって多くの王朝が興亡を繰り返しました。北魏、東魏、西魏、北斉、北周などの王朝が次々と現れました。これに対して、南方では六つの王朝が比較的安定して続きましたが、内部の権力闘争や外部からの侵略に悩まされました。

この時期には、社会の基本構造にも大きな変化が生じました。儒教の社会秩序が崩壊し、道教や仏教の影響が強まりました。また、大貴族の台頭が顕著であり、彼らは唐王朝の中期まで中国社会を支配し続けました。

六朝の遺産

六朝時代は、中国の歴史において重要な転換点となりました。この時期に南方が経済的に発展し、文化的にも豊かになったことで、唐王朝以降の中国の発展に大きな影響を与えました。また、仏教や道教の普及は、中国の宗教文化に深い影響を与え続けています。

六朝時代は、混乱と発展が同時に進行した時期であり、その遺産は現代の中国にも受け継がれています。この時期の歴史を学ぶことで、中国の文化や社会の変遷を深く理解することができます。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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