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南海郡とは わかりやすい世界史用語436

著者名: ピアソラ
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南海郡とは

南海郡は、紀元前214年に秦によって設立された古代中国の郡です。この地域は、現在の広東省、海南島、広西チワン族自治区の南東部、福建省の南端を指していました。南海郡の中心地は番禺(現在の広州市)でした。

秦は、南海、桂林、象郡の3つの郡を設立し、この地域を統治しました。秦の崩壊後、南海郡の龍川県の秦の太守であった趙佗は、南海郡と周辺の郡を基盤として南越国を建国しました。その後、番禺は南越国の首都となりました。

紀元前112年、南越は漢朝によって併合されました。西漢時代の終わり頃、南海郡には19,613世帯(94,253人)が住んでいました。この郡は、番禺、博羅、中宿、龍川、四会、揭陽の6つの県を管轄していました。東漢時代には、新たに增城県が設立されました。140年頃には、人口は71,477世帯(250,282人)に増加していました。

晋朝が三国を統一した280年の時点で、南海郡には9,500世帯が記録されていました。東晋時代には、南海から東官郡(330年)と新会郡(420年)が分割されました。464年には、南海郡には8,574世帯(49,157人)が住んでおり、県の数は10に増えていました。

隋朝が陳朝を征服したとき、南海郡は廃止されました。隋朝と唐朝の時代には、南海郡は広州の別名となりました。741年には、南海郡は13の県を管轄しており、人口は42,235世帯(221,500人)でした。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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